Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

サクラとブラームス

2014年03月26日 23時35分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 出発を前にして、ドタバタと詩を読んだり、FM放送をかけて見たり、我ながら落ち着きがない。

 先ほど、ツィンマーマン(Vln)、指揮ブロムシュテット、NHK交響楽団によるブラームスのバイオリン協奏曲をエフエム放送で聞いた。
 ブラームスは好きな作曲家だが、最近はシベリウスばかり聞いているので、めっきり聞く機会がない。
 久しぶりにブラームス調を堪能できた。
 自分でCDを選んでいるとどうしても今現在好きな曲、興味のある作曲家ばかりを選んでしまう。ラジオを聴く分にはアトランダムに選曲されるので、それなりに幅広く聞くことができる。時々は初めての曲に遭遇したり、今まで気に掛けなかった個所が気に入ったりと新しい発見ができる。

 先ほどの演奏も、ブラームスのバイオリン協奏曲ってこんなにスムーズに、軽く流してしまっていいのかな、という位に感じたが、終わってみれば「やっぱりブラームス」という終わり方になっていて良かった。

 直接には関係がないことがらなのだが、面白い関係をひとつ。

 ネットで「ブラームス 桜」を検索してみたら、こんな話が出ていた。ブラームスのラプソディ(作品79)の第一番に「サクラ サクラ」という歌のメロディーが出てくるという質問であった。
 それに対する回答は「この曲のその部分は有名ですね!ここはグリーグのペールギュントの中の、オーゼの死、という曲です。この時代、もうすでに有名になっている曲の一部をちょっと使ってみるということが流行ったそうです。」
 まったく私はこのエピソード、知らなかった。「有名である」なんて云われるとゴメンナサイというしかない。
 意外な関連とはいえない関連があるものである。



人気ブログランキングへ

あいにくの雨

2014年03月26日 21時19分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 サクラの開花宣言の直後の曇り空、そして夕方には雨がポツンと落ちてきた。今は雲に切れ目が出来て雨は降っていない。しかし明日も雨模様。これで満開までは多少時間がかかるかもしれない。「満開は帰国後」ということは確定したようだとほくそ笑んでいる。帰国後にサクラをめでる散策が出来そうだ。

 本日は、カメラのレンズの保護フィルターとビニールの覆い、そして電池式カイロ用の単三電池を購入してきた。飛行機の中で読む文庫本を物色しなくてはいけない。夜に本箱の前であれやこれや楽しみが出来たような気分だ。本は選ぶのが楽しいものである。だけども候補のひとつ現代詩文庫「続々 吉野弘」詩集は読んでしまった。もう少し読みでのあるものでないと往復20時間以上のバス・飛行機では間に合わない。これは古典の方がいいのかな。すると寝てしまうのも早い可能性がある。困った。

 さて、本が決まれば、たぶんこれで忘れ物は無いはずだ。あとは成り行き任せにするしかない。12時までには本を決めよう。

 雨は明日にかけても降るようだ。横浜駅まで重くはないが嵩張る登山用リュックを担いで歩いていく予定であったが、地下鉄を使わなくてはいけないかもしれない。当然にも、傘はもっていかない。
 31日まで体を動かすことはあまりないのが、苦痛である。贅沢な悩みであるが、ジッとしているのが性分ではないので致し方ない。

 横浜駅発13時のバスで、成田発が19時。

 たぶん明日27日の昼頃の更新以降、28日、29日、30日はブログの更新は行わない予定。現地から更新が出来ればやってみたい気はしているが‥。



人気ブログランキングへ

吉野弘「緑濃い峠の」

2014年03月26日 20時08分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日横浜から乗る飛行場へ向かうバスの中や、成田からの飛行機の中で、何を読もうかと本棚を漁っていたら現代詩文庫の「続々 吉野弘」が目に入った。読んでいたら「緑濃い峠の」という詩が目についた。詩集「陽を浴びて」に収録されている。
 でも大体読んでしまったので、これは持っていくわけにはいかなくなってしまった。

 緑濃い峠の

緑濃い峠の
緑にも染まらず
私の乗った赤い電車が
林をつらぬき走り続けた。
あのとき
風をまとった電車にあおられ
のけぞり、たわみ
葉裏を返し、激しく揉まれていた線路際の木立ち、
伸びすぎた梢は
電車にはじかれ、ピシピシ鳴っていた。
あの風景が、なぜ今も
私の目にやきついているのだろう。
赤い美しい電車に素気なく撥ねつけられているのに
それをさえ待ち焦がれていたかのように
おどけて、かぶりをふり
感性をあげて揺れていた木立ち。
毎日つれなく走り去るだけの電車
その電車から何度、邪険にされても
電車が好きだという身振りをかくさない木立ち。
一度、電車というものを見て来て
綺麗な電車に一目惚れ
そのまま線路沿いにすみついてしまった
とでもいうような世間離れのした木立ち。
その木立ちが電車に見せた
正直な求愛、激しい身の揉みよう
少し気恥ずかしげな、おどけよう--。

あんな一方的な愛もあるかと知った。
小さな旅の一日。

 はじめは吉野弘という詩人らしい平易な言葉の、平易な語り口の詩であるが、「だけどもちょっと大げさな比喩過ぎないかい?」と通り過ぎようとした。しかし三木卓がこの詩集の末尾にこんなことを書いていた。
「今までみたことがない物のかたちや姿に出会う。あ、これは、と惹かれるものを覚える。やがて忘れてしまうこともあるが、いっこうに消えていかないこともある。あれはこの世界の秘密のひとつを告知していたのだ。」
「吉野さんはのけぞりたわむ木立ち姿に、ごく自然に人間の愛の態様のひとつを見出した。すると風景は一変、たちまち劇的な美とかした。見出したものを、見出された形の方がなり代わって一層強く喚起したのだ。」

 素直に文字どおりに受け取って、そのとおりに解釈すればいいのだ。大げさとか、突拍子もないと批判することは簡単なのである。三木卓の解説を目にして一気にこの詩が忘れられないものになった。
詩というものは不思議なものである。何かのきっかけが無いと全体をどれだけ読み込んでいても理解できないことがある。しかしほんのちょっとしたきっかけで好きになってしまったり、理解できたと思い込むこともできる。




人気ブログランキングへ

目黒川沿いの桜

2014年03月26日 10時59分45秒 | 山行・旅行・散策
 ツィッター仲間でもある長い付き合いの友人Iさんから目黒川沿いの桜並木が見ごろだというお誘いを受けた。とてもありがたかったが、明日オーロラツアーの出発なので終日準備をする予定があり、お断りさせてもらった。残念!

 実は去年妻と二人で満開の時期に歩いてみた。川沿いの桜並木というのは、川に桜が存分に枝を伸ばして見ごたえがある。川面に映るサクラはのびのびと咲いている。
 これは横浜の大岡川沿いのサクラも同様である。大岡川の方が川幅が目黒川よりも多少は広い。両岸に咲くサクラだが、この微妙な違いも面白い。それぞれに風情がある。
 そして大岡川沿いは開花の時期には屋台が出る。川沿いには商店が少ないのである。目黒川沿いは屋台ではなく、川に面した商店がたくさんあり、洒落た商品や飲食物を販売している。どちらかというと大岡川沿いは下町的で、目黒川沿いはちょっとおしゃれな感じがする。
 大岡川沿いは屋台の定番の焼き鳥・お好み焼き・焼きそば・おでん・串焼きステーキといった定番の子供も喜ぶ屋台が並ぶ。目黒川沿いはワインや洋酒も豊富にそろうし、料理もフレンチ・イタリアン・中華・和食・韓国料理・インド料理と国際的である。ともに地元ではすっかり定着して多くの人が訪れる。地域の人、会社帰りの人、遠くからも。
 どちらも人は座り込まずに歩きながら見物することになる。公園などでは座り込んで場所取りが競争になる。またカラオケや踊りも飛び出してそれはそれで楽しいのだろう。屋外で座り込んで飲むお酒もまた楽しい。しかし私はブラブラ歩きながら、店を覗きながら、いろいろなサクラを見て回るそぞろ歩きのサクラ見物の方が性に合っている。これは人それぞれの趣味だから、あくまでも私の好みの判断でしかない。
 毎年訪れる多磨霊園のサクラも美しい。小さな公園や街路樹としては老木となりすぎているが、広い霊園の中ではどっしりと生きている。老木の蔭が高齢者の散歩には手頃である。枝も大きく張っている。これは手入れがなかなか大変な桜の木である。
 昨年訪れた宮城県南部の白石・大河原・村田の阿武隈川支流沿いのサクラは見事であった。とてつもなく広い川の両岸のサクラは蔵王の山を背景に大きな風景として美しかった。
 サクラはそれぞれの土地や気候・風土に合わせて個性的に美しい。

 4月になってからでも間に合うならば関東地方の近場のサクラの名所を探して見てまわりたいものである。



人気ブログランキングへ

サクラの開花宣言

2014年03月26日 01時06分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 サクラの開花宣言が東京・横浜でもあったとのこと。2月~3月上旬までの寒さからは想像できないような暖かな日が続いたためか、平年並み、ないし一日早い開花宣言となったらしい。
 昔聞いたことがあるが、植物は気温の累積をキチンを踏まえて芽吹きや開花を準備するとのこと。そこには「植物的な知能」すら感じるとテレビの解説者が述べていた。そんな生物学的なカラクリが解明されるのも必要なことかもしれない。オカルト的な神秘主義にならないためにも‥。

 サクラの咲き誇る名所は昔はソメイヨシノが主流であった。日本の桜がソメイヨシノに席巻されかねない勢いであった。確かにソメイヨシノは開花から満開そして散るまで、あるいは散った直後までその風情は素晴らしい。私も好きである。
 しかし最近はいろいろなサクラの風情も楽しませてもらえるようななってきた。公園や街路樹や庭園など公的な場所にいろいろなサクラが植えられている。
 野生種、栽培種など実に多様である。ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、マメザクラ、カンヒザクラ、サトザクラなどの名前が木にぶら下がっている。
 横浜ではヨコハマヒザクラというものもある。伊豆半島のカワヅザクラというのも有名である。そしてヤエザクラが咲き誇るとサクラの季節はとりあえず終了となる。
 私の住む地域にも早咲きの品種、色のあでやかな赤い品種などいろいろと楽しめるように遊歩道、公園が整備されている。
 多様なサクラを楽しむということもまた楽しみ方として一般的になってきた。私にはとてもうれしいことに思える。
 しかも花だけではない。花が終わった後も、葉桜、黒い実を付けた桜の木、サクランボの風情、桜紅葉と秋まで桜は見飽きることはない。横縞模様の樹皮を利用した木製品も美しい。
 桜の木を使った草木染もこの季節になると店頭に並ぶこともある。

 サクラひとつをとっても画一的にソメイヨシノばかりがもてはやされることよりも、多様な楽しみ方が定着してきたといえる。生活の多様化、価値観の多様化というのと期を一にした流れというのは、飛躍しすぎであろうか。





人気ブログランキングへ