Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は湯河原

2014年03月16日 23時25分43秒 | 山行・旅行・散策
 湯河原に泊まるというのは実に久しぶりである。四半世紀以上前に泊まったと思われる。ということは25年以上前、37歳以前ということだ。子供が小学校に入ったばかり位の歳に連れて行ったことがある。それ以来だ。 意外と近場の温泉地というのは行く機会が少ないのかもしれない。湯河原は自体はいい温泉地である。
 お土産は何があったのかと思いだそうとしたが、思い浮かばない。明日じっくりと駅の前を歩きながら思い出してみたい。



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中原中也「小景」

2014年03月16日 09時48分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 小景

河の水は濁つて
夕陽を映して
錆色をしてゐる。
荷足はしづしづとやつて来る。
竿さしてやつて来る。
その船頭の足の皮は、
乾いた舟板上を往つたり来たりする。

荷足はしづしづと下つたゆく。
竿して下つてゆく。
船頭は時偶一寸よそ見して、
竿さすことは忘れない。
船頭は竿さしてゆく。
船頭は、夕焼けの空さして下る。



 この詩、前2回と同じく未刊詩編3の「早春散歩」の2番目。私のメモで、「転結なし」とある。確かに未完成の作品である。
 今の時点での私の感想は、起承転結の内、「起」は未整理だがイメージとしては出来ているようだ。「承」は第二連の第二・三行に微かに顔を出している程度。これからである。「転」「結」部は影も形もない。
 しかしこの、船頭の足の皮が乾いた舟板を行き来する、というイメージはなかなか面白い。独特のイメージの把握をしていると感じた。
 そして表現されていない中原中也独特の響きのある語彙、独特の世界把握の言葉が不在である。未完の証左であるが、表現されていない「承」部分の景のイメージ、「転」の部分を想像するのはなかなか楽しい。
 未刊詩編というものの楽しみ方のひとつである。未刊=未完とはならないが、この詩については未完なのである。未完が魅力である。



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