Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

東京駅でウロウロ

2014年03月03日 23時41分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は東京駅まで出向いて、学生時代の友人と5人でオーロラツアーの打ち合わせと会食。あいにくの雨の中、八重洲南口で工事が終了した八重洲口をしばし見上げた。久しぶりに八重洲ブックセンターに寄ってから、集合地点へ。
 まずは東京駅の八重洲口の地下街で5人が座れる喫茶店を探したが、なかなか見つからない。以前あった広い喫茶店が無くなって、別の店になっていた。広くて、くつろげて、そしていい香りを売りにする、ドリップコーヒーやサイフォンで淹れるコーヒー店というのがとても恋しい。
 そんなコーヒー店・喫茶店というのは最近ははやらないのだろうか。あるのは全国展開の喫茶店やパン屋さんの一角にしつらえた喫茶店ばかりのようだ。
 まあ、そんな喫茶店で時間をつぶしたり、読書したり、友人と議論した世代のための喫茶店・コーヒー店では採算も取れないのだろう。それにオジサンたちは喫茶店よりも居酒屋に直行する歳になってしまっている。懐古だけでは商売にはならないに決まっている。しかも昨日は、300円未満のコーヒー1杯で2時間も粘ったのだから、申し訳ない。

 そのあとは近くの居酒屋に赴いてやはり二時間近く。帰宅は12時近くになってしまった。帰りも雨、だんだんひどくなってきた。
 雪にならずにホッとした。


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「世紀の日本画」展‥感想1

2014年03月03日 22時07分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 一昨日後期展示の内覧会に参加した。前期も含めて、私の惹かれた作品を取り上げてみたいと思う。

 まずは敬意を表して狩野芳崖の「不動明王」と「悲母観音」。両者ともに東京芸術大学蔵となっている。不動明王についてはどこかで見た記憶がある。悲母観音は多くの美術書に記載されているが、実際に見たのは初めてのような気がする。



 不動明王は色彩が鮮明で私の好みである。そして多くの不動明王像が口を固く閉じて、まなじりを上げて大きく見開いている。この顔を私は好んでいる。仏像の多くは憤怒や力を込めたポーズでは口を開いている。まなじりが横にまっすぐな場合もある。どうも憤怒の顔としてスッキリしないのだ。
 狩野芳崖のこの不動明王は実に人間らしい顔をしている上に、本当に憤怒の顔に見える。しかも胸の肉などを見ると決して若くない肉体として表現している。腹の肉の付き具合などたるんでいる。そして少し痩せている。足の筋肉も弱弱しげである。腕も筋肉は見えるが細い。本来ならば青や緑に表現される肉体が、黒くなっている。決して若々しく輝くような肌合いではない。しかし顔は確かに憤怒の相である。
 今の言葉で言えば中年・熟年の男がちょっと無理をして怒りを露わにしているようだ。晩年の狩野芳崖自身の社会に対する憤怒を垣間見るようで、その意地のような憤怒のあり様が私は好きである。私自身も重ね合わせることができる。



 悲母観音は不動明王の翌年に描かれた絶筆である。図版で見るよりも色彩は淡いと感じた。不勉強だったが、橋本雅邦が最後に手を入れたというのは今回初めて知った。観音である以上男なのだが、下絵の変遷から顔を女性的に変えていることを知った。西洋画の聖母子像に近づけようとした経緯がわかる。そして身を飾る装飾品の描き方が実に精巧であることもわかった。
 もうひとつ恥を忍んで書いてみる。子供の顔は上を向いているが、それは水瓶からの液体を受けるように向いていること。
 図版だけでは観音の顔を見ているのかと感じていた。観音像の伝統では水瓶の口は下を向いていない。子供に液体を与えようとしていたのだ。これに気付かなかったのも迂闊であった。ようやく悲母観音の人気の秘密がわかったような気がした。
 空中に浮かんでいる位置は不思議である。子供は地底からか、地上からか、山上からか浮かび上がってきている。水中を浮かび上がってくる泡のような玉に囲まれている。ただし下の山のような景色は妙義山のイメージということも初めて知った。荒々しい山容の上に現れる慈母=悲母というのは新鮮味も感じられた。

 不動明王もそうだが、お寺などに閉じ込められてしまう仏画ではなく、そのような枠を取り払って飛躍するような絵であるとあらためて感じた。



 横山大観の「屈原」は、横浜美術館でも見た。私はこの絵をその時初めて見たのだが、あまり感心しなかった。今回都美術館で見て迫力にビックリした。認識をあらためた。
 はろるどさんがツィッターで述べていたが、横浜美術館の時よりも迫力を感じたのは、照明のせいかもしれない。確かな指摘だと思った。照明の当て方でこんなにも印象が違うのかと感じた。今回は、色彩が非常に鮮明に見えるためか、屈原が前方にせり出してくる。そして右側の草木が少し奥に見える。屈原を際立たせるように描かれていると感じた。天心になぞらえた人物は確かに劇的である。歴史画としては現実的で生々し過ぎる嫌いはある。それは評価が分かれるであろう。

         



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