Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

風も雨も収束

2014年03月13日 23時06分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほどまで風が唸っていたが、その音もおさまってきた。13夜の月が天頂付近にあって大きな傘をかぶって柔らかい光を放ち始めている。横浜ではこれから荒れた天気が収束するのであろう。注意報が早く解除となってほしい。
 南側のベランダに随分雨が吹き込んだ。新しい防水塗装はよく水を弾いて、吹き込んだ雨が大きな粒となって月の明かりを反射している。
 先日咲いたばかりのユキヤナギが明日晴れれば一層開花すると思われる。それもまた楽しみである。

 明日は朝10時からの講座である。最近はどうしても8時を過ぎないとベッドから抜け出さない。この10時からの講座に出席するためにかなりあわただしい。しかしこれが無くなると起床がますます遅くなる。
 朝せめてあと1時間は早く起きるようにしたいのだが、これが難しい。




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大雨・洪水・強風・雷注意報

2014年03月13日 18時23分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 13時からのみんとみらいでの講座に出かけた。天候が心配であったが、昼前までは風は強いものの、雨はたいしたことはなく、雨を気にしないでも歩ける程度であった。
 講座終了後関内まで歩いて用事を済ませて一服。しかし帰り際はやはり予想通り雨と風が強まっていた。幸い電車の遅延はなく、家までたどり着いたが、最後のところで傘が風にあおられて骨が1本折れてしまった。315円のビニール傘であったが、かなり長い間利用していたので、それなりの愛着があった。風が強いのですぼめてできるだけ風に煽られないようにしていたが、風が舞っていたこともあり、反転してしまった。やはり衝撃には弱いつくりだった。骨が折れてビニールに三か所も穴が開いた。これはさすたびにビニールに穴があいてしまう。残念ながら廃棄せざるを得ない。

 最近は老若男女を問わず、高級そうな傘をさしている人でも風の強いときに傘をすぼめている人をほとんど見なくなった。そのような使い方を知らないのではないか、と思ってしまう。テレビで見ていても、実際に観察していても、風に振り回されてとても危険である。
 周囲に対する危険を回避する配慮がもともと考慮の外、という感じがする。スマホ歩きも「本人にとって危険」というキャンペーンはあるように聞くが、もともと往来は対面者が目を合わせてお互いに譲り合うのが原則であるから、スマホ歩きは「行儀が悪い」「マナー違反」というキャンペーンが行われてしかるべきなのだが‥。「危険」という指摘では、「俺は注意している」という意識で終わってしまうのではないだろうか。
 キャンペーンをする方も本質からズレているような気がする。

 これが「道徳教育」で解消するというのもとても理解できない。学校教育の課題であるとはとても考えられない。公教育・義務教育が全人格を規定する社会など御免こうむりたい。



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追悼!大西巨人

2014年03月13日 11時20分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 大西巨人が亡くなった。97歳とのこと。

 私は就職してからしばらくして「神聖喜劇」を文春文庫で読んだ。それ以前から小説の存在は知っていたが、文庫になったと聞いて読んだ。当初とても読みにくい文章で、粘っこい、過剰な説明がくどい文章に大いに戸惑った。しかし不思議なことにこの文体は慣れてしまうと意外と苦にならなくなる。今思うと懐かしい文体である。そして熟語の細かな薀蓄など、小説の本筋とは関係ないような説明も、こだわらずにはいられない作家の論理癖が懐かしい。題名を忘れたが文芸雑誌に載った作品では、新幹線で主人公が缶ビールを飲む場面では、私の記憶では「標準缶(三五〇ミリリットル)」などと記述されていて、いかにも大西巨人らしい、と感じたものである。
 この「神聖喜劇」で今でも記憶に残っているのは、主人公東堂太郎が中隊本部で上層部と対峙する場面、特に建物の窓から広い敷地の遠くを過る上官に部屋の中から敬礼をして対峙していた下士官を煙に巻くシーン、そして行軍中に店先で見かけた「中央公論」を購入してしまうシーン、最後の方の場面であるが、砲撃訓練で照準の中央に艦影を模した的が来たときに射撃するのではなく、的の少し先を狙って射撃することで命中させ、大前田軍曹を煙に巻くシーン、この三つのシーンが記憶に残っている。
 先ほど文春文庫を探したが、見つからないので記憶違いがあると思うが、それは許してもらうしかない。
 どのみちこの東堂二等兵のとんでもない記憶力に「スーパーマン小説」と心の中で半分揶揄しながら読み進めた。しかし「無責任の体系」としての軍隊、天皇制などをとらえ方にとても親近感を覚えた。

 野間宏「真空地帯」への評価を巡って行われた論争など、読んでみたいと思いつつそのままになってしまった。いくつか作品を読んでみたいと思い光文社文庫版の「深淵」上下を昔購入したが、本箱にツンドク状態で放置してあった。「天路の奈落」も読んでみたいと思ってそのままになっている。ネットではPDFファイル化されている。他にも「縮図・インコ道理教」も同様である。

 大西巨人「神聖喜劇」、野間宏「真空地帯」、埴谷雄高「死霊」ともに大学時代からの宿題として20代後半から30代にかけて読みふけった。戦後の小説を読む発端は大岡昇平の「俘虜記」だったが、取りあえずこの四作品を読んだことで一つの達成感があった。
 キナ臭い昨今、是非これらの先人たちの作品が大いに再評価され、読まれることを期待したいものである。そういえば私が「俘虜記」を読んだのは高校の国語の教科書だったと思う。今は教科書に採用されているのだろうか?



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