
「東北を聴く-民謡の原点を訪ねて」(佐々木幹郎、岩波新書)を読んだ。佐々木幹郎という詩人は名前はよく知っている。1947年生れ、同志社大学中退、いわゆる全共闘世代の詩人として有名である。しかし私は詩人としての佐々木氏の良い読者ではない。詩をいくつか読んだことはあるが、まったく記憶にないほどである。しかし今回、題名と震災ということに惹かれ購入した。一読してそのわかりやすい文体に惹かれ、一気に読み通した。
この著作は、詩人佐々木幹郎が津軽三味線の二代目高橋竹山と東北大震災の被災地を巡った時の話から始まる。被災地では二代目竹山の演奏と民謡、佐々木幹郎の詩の朗読をセットにしてまわったとのことである。
しかしこの書物の前半は、実のところ初代高橋竹山の足跡を二代目竹山と佐々木幹郎がたどる旅として記述されている。初代高橋竹山の魅力がたっぷりと記してある。
高橋竹山は青森県の夏泊半島に1910年に生まれ、当時は民謡の伴奏でしかなかった津軽三味線を独奏楽器として自立させた第一人者である。門付け芸として東北各地に足跡を残しながら、津軽三味線の魅力を全国規模に拡大した人である。
私も一度テレビでその演奏を聴いたことがある。ただし、民謡も三味線にもあまり興味を抱かないまま、今まで過ごしてきた。二代目高橋竹山という女性の津軽三味線奏者についても初代を継いだ優れた奏者ということは聞いていたが、それ以上の知識はまったくなかった。
ライブの終了後、集まった人々から震災当時の模様を聞き、それを記録して今うたわれている民謡の歌詞と絡めながら、東北という土地に根付いた人々の生きざまを浮き彫りしていく。とても優れた書物だと感じた。そして初代高橋竹山の魅力を語る語り口もまた生き生きと感じられる。
今は優れた演奏に対して欧米流に「ブラボー」だが、民謡が披露される場では、感激すると「寿命が延びた」というセリフが発せられるというあたり、民謡が人々の間に生きている芸能であるという実感が伝わってきた。二代目竹山の演奏が終わると幾度となくその言葉を佐々木は聞いたと記している。たぶんそれが色濃く残っているのが東北という土地なのだろうと感じた。二代目竹山の力量と魅力なのだろう。
津軽三味線というと私などは激しい撥裁きと誤解していたが、初代高橋竹山は「糸切れんばかりに叩くものもいるが、そればかりではしょうがない」と否定的であったようだ。絹糸を大切に切らずに演奏を続けた人とのことである。津軽三味線の演奏に対しての誤解を解く必要があるようだ。
この本は中盤には、初代高橋竹山が岩手県野田村で1933(S.8)年の3月3日の三陸沖大地震で津波に遭遇し命からがら避難したエピソードを交えながら、当時と現在の津波が二重写しに展開していく。初代竹山が伝説化していく過程が津波の過去と現在とを繋いで解き明かされる。
後半は初代高橋竹山から少しはなれて、牛方節(南部牛追唄)、新相馬節、会津磐梯山、蔡太郎節の歌詞の意味を解いていく展開となり、最後にまた初代高橋竹山の生まれ故郷にもどり、終わる。
大震災の被災地を巡り、そこの人々と交流しながら徹底して著者の問題意識、東北の民謡と初代高橋竹山に引き寄せて語る語り口であるが、私には被災者として登場する人々が実に生き生きと描写されていると感じた。
特に野田村から北上山地を超えていく塩の道と馬・牛を惹きながら歌われた労働課としての民謡の解明、風評被害にあえぎながら相馬市での民謡を介した交流は白眉である。
最後に、初代高橋竹山を世に出した佐藤貞樹に言及している。その高橋竹山を語った著作に引用されている、ドイツのロマン派詩人ノブァーリスの詩がなかなかいい。
すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。
ローカルなもの、土着のものが、そこからはなれて世界性を獲得するときの秘密がここにあるという予感がしてきた。
久しぶりに心に残るものを読んだ気がした。
