Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

春泥

2014年03月25日 13時28分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は昨日よりも風が強くなってきた。午前中は風もなく気持ちのいい日だったが‥。

 朝一番から私の住んでいる号棟の北側の足場の解体作業が始まった。すでに南側は解体済みなので屋内の明るさはさほど変わらないが、足場があるとやはり重苦しい感じがしている。この号棟は団地の中では最後まで足場が残っていた。しかし足場の設置といい、解体といい作業が始まれば実に手際がいい。
 台風や大雪などの天候不順、並びに職人の確保の困難などの影響で工期が遅れていたが、何とか年度内の工事完了に間に合うようだ。私はオーロラツアーに出発しているので最終検査の日には不在だが、問題が無いことを願うしかない。

 先日、啓蟄について記載したときに、「春泥」という季語は「厄介なもの」「迷惑なもの」というイメージが強いということを書いた。歳時記にも「人々を悩ませる」ものとして解説してある。

・春泥のふかき轍となり暮るる  金子麒麟草
・玄室へ靴の運びし春の泥  八染藍子
・武蔵野の春泥重く歩きけり  上林暁
・春泥にさりとて急ぐこともなし  草野駝王
・春泥を来ていつぽんの直ぐなる木  熊田信子
・老農の棺に入れし春の土  石井国夫

 春泥という言葉は私は雪国の雪が解ける頃のぬかるんだ道を昔は連想していた。しかし関東ローム層に早朝霜柱が勢いよく発生し、昼間の暖かい日差しで解ける泥道や庭を連想するようになった。
 私が小学生の頃はまだまだ未舗装の道路の方が多かった。春先ちょっと冷え込んだ朝は霜柱が心地よいが、学校からの帰りは難儀した。この難儀しながら歩くのがまた楽しかった。最近でこそ公道はほぼ100パーセント舗装されていて、泥濘道など経験したことの無い子供が多数である。靴が泥で汚れるなどという経験はほとんどなくなった。
 しかし今になって振り返るとこれが懐かしく感じる。不思議だ。やはり「土」というのは人間の生活にとっては切り離せない存在としか言いようがないと思う。マンション住まいでも人は小さな鉢に草木を植え、土いじりをする。プランターに土を入れて花を植える。厭わしい泥土もなくては生きていけないのかもしれない。土と切り離された生活は想定できないとおもう。食べる野菜が水と栄養素と人工太陽の工場で生産されようとも。




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「菱田春草」展

2014年03月25日 01時11分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜美術館での「横山大観」展以来、同じく横浜美術館での「下村観山」展、そして東京都美術館で開催された「日本美術院再興100年」展以来、岡倉天心由来で明治期の日本画を見て回ってきた。
 その前には、「夏目漱石の美術世界」展があり、やはりそこに横山大観が取り上げられていた。
 そんなことで少しは日本画の明治期以降の展開に触れてきたのだが、「菱田春草」という人の絵が気になってきた。
 9月から国立近代美術館で「菱田春草」展が開催されるということで、チラシを手に入れた。「落葉」(1909)という作品が気にかかっている。チラシで小さく印刷されたものを見てもイメージが大きく違うことも多い。チラシで見ると左双の左端の緑の葉をつけた常緑樹のような幼木と、右双の左に描かれたこちらは黄葉しているやはり幼木の対比、それと根元ばかりを描いた太い木々の遠近描写がなかなか面白い。
 以前に下村観山展の感想を書いた時、自分の好みとしては横山大観より下村観山と記したが、最近はこの菱田春草の方が気にかかっている。自分の好みに合っているのかな、と思うようになった。
 ただし実際に見てからの話だと思うが‥。




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