Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

真鯛

2014年03月09日 22時04分18秒 | 料理関連&お酒
 本日は昨日アップした「星自慢」というお酒に合うように白身魚の蒸したものなどを妻に所望してみた。二人で魚屋を巡っていたら、真鯛が二尾で500円と云う値で販売していた。それなりの大きさがあり、迷わず購入した。
 その鯛に塩を振ってしばらく置き、生姜の薄切りと酒を振りかけてから、電子レンジの出力を弱めに設定して蒸し焼きにしてみた。ふった塩が少し薄めだったかもしれないが、それなりに塩味がして美味しく蒸しあがった。生姜の細かいみじん切りと醤油を少しだけかけて食べたが、とてもおいしかった。お酒の旨みも倍増したような気がした。
 味がシンプルなメインディッシュだったので、分葱と蛸でヌタを作って味のアクセントにしたのも良かった。調理はすっかり妻に任せてしまって、私は手を出さなかったが、とてもおいしい夕食となった。
 母親と妻と私三人の夕食では真鯛二尾は多過ぎということで、余った半身は別途保存して明日以降に食べることにした。
温奴もリクエストしていたが、用意する都合上温奴は省略した。それがあるとおかずの量が多すぎていた。したがこれも明日あたりに食することにしよう。

 本日買い物で横浜駅まで往復し、スーパーへ。往復12000歩。帰宅後久しぶりに全力歩行で10000歩、かなり汗をかいた。だらだらの汗が出る程度の早歩きは確かに気持ちがいい。この冬は足場を組んていたので、洗濯物がなかなか外に干せずにいたので、ウォーキング・ジョギングで洗濯物が出ると妻はとても嫌がっていた。少しずつ暖かくなることでもあり、足場も解体されたので明日からは部屋干しにならない日には汗をいっぱい書くようにしたい。
 妻の言い分もわかる。洗濯機を回すだけならばボタンひとつで済むので、私の指一本だけの動作だが、干す立場・取り込む立場になると確かに面倒である。



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パソコン設定

2014年03月09日 20時21分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど昨日の時分のブログの記事「「地球外生命-われわれは孤独か-」読了」を再読してびっくりした。文章がズタズタになっている。少なくとも二か所で入れ替わっていた。これでは意味が通じないところが出てくる。
 慌てて訂正の上、若干の補足を加えた文章を再度アップした。
 実はこの記事の前にアップしたとおり、コピー&ペースト、文章の選択がウィンドウズ8にして以降上手くできない。マウスの設定を少し変えたら改善したということまでは記載してある。
 あの記事をアップしたとき、ブログの画面で多少文章の移動を施した。その時の設定がうまくいってなかったようだ。先ほどもとに戻したが、この事態もマウスのコピー&ペーストがうまくいかないことの反映であったと思う。

 そういうことで、先ほどマウスの設定をさらに変えてみた。ポインターの移動速度をさらに遅くしてみた。少しマウスの操作に違和感はあるが、コピー&ペーストはうまくいくようだ。しばらくこの設定でやってみる価値はありそうである。しかしこのマウスの速度は以前のXPの時より少し遅い。私の思考の速度とうまくかみ合わないのだ。困ったものである。

 自分の思いどおりにパソコンを設定するというのは、難しいことなのだろうか。


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啓蟄

2014年03月09日 11時34分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ウィキペディアの説明によると「大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。『暦便覧』には『陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり』と記されている。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ」との記載がある。
 日程では3月5日と6日が二年おきに繰り返されるとのこと。この周期についても詳しい説明がある。
 暦上の薀蓄は別として、この啓蟄という言葉を聞くと私は土の匂い、暖かい土の感触を思い出す。
 啓蟄に似た季語として「地虫(蟻)穴を出ず」「蛇(蜥蜴)穴を出ず」などというものもある。さらには「熊穴を出ず」というものまである。
 もうひとつは「虫出しの雷」というのがあり、これも面白い。啓蟄の時分に雷がよく鳴ることがあるということで、「春雷」の季語に含まれて説明されることもある。

 いづれも春になって冬眠する生き物だけでなく、植物を含む生き物がすべてが息を吹き返して活発に動き始めるという躍動感がある。好きな言葉である。農作業だけでなく山での仕事も、ひょっとしたら海での仕事も含めて、躍動を始める時期の生命感が満ちてくる人の営みの開始をも表しているように感じる。
 繰り返すが私はこれらの季語あるいは言い回しを聞くと、土の匂いを思い出す。「春泥」という季語はあるが、これは雪解けのぬかるんでいて「厄介だな」という意味合いが混ざっているので少しニュアンスは違うようだ。

 北海道の南端の函館で6年とちょっと幼少期を過ごしたことがある。春になって家の周りの道や庭に土が顔を出し、土の表面が多少柔らかくなってくるといつも近所の年長の子が「釘差し」で遊んでくれた。これは長い5寸釘を探してきて、しゃがんだままそれを地面に投げつけて刺さった跡を線で結んでいく遊びだ。冬の凍った土では硬くて跳ね返されてしまうので、小さい子ではとても刺さらない。
 交互に投げ合って相手の釘の刺さった跡を囲んで、閉じ込めた方が勝ちという単純なゲームだ。らせん状に釘の跡を結んだ線が面白い。思い切り投げるよりも、自分の差したいところを冷静に狙って投げなければいけないのだが、熱が入ってくると力任せに投げ始める。また幾度も繰り返すうちに土が柔らかくなって刺さりにくくなる。それがかえって面白いので、場所はあまり移動しないで続けることが多かった。
 こうして土が柔らかくなると釘を抜くたびに土の匂いを嗅いだ。暖かいような、懐かしいような匂いが立ち込めてきた。何故か土の中から湯気が出てくるような錯覚にもとらわれることがあった。今から思うとまだ寒い時節柄、吐く息が白くなって土から立ち上るように錯覚したのかもしれない。
 その経験からか、春という言葉を聞くと柔らかく外気より暖かくなった土から立ち上る匂いをまず思い出す。
 関東地方に移ってからはそのような遊びはしなくなった。流行っていなかったと思う。そのかわり、桜が話題になる頃になると桜の木の周りの根がでこぼこしたあたりの土から同じような匂いを感じたことがある。そして成人後、筍を掘り出すときや、春山で休憩するときに土の柔らかい感触を楽しむときにいつもあの「釘差し」のときに嗅いだ匂いを思い出した。
 こんなことを繰り返しているうちに、春ということばと土の匂いが連動して頭に浮かび、嗅いでもいないのにその匂いを感じするようになった。

啓蟄の雲にしたがふ一日かな  加藤楸邨
啓蟄の泥まみれなる牛を糶(せ)る  久保武
啓蟄の日がとどきたり釘隠  小室善弘
虫出しの過ぎたる野麦峠かな  菅原多つを
渓音も朝は朗らか地虫生づ  今井千鶴子
地虫出つひそみつ焦土起き伏しぬ  石田波郷
蟻出でてすぐ百千の廃煉瓦  藤田湘子

久保武の句、糶(せ)る、とは競り市に出すことのようだ。泥の匂いが暖かい。
石田波郷の句、私にはちょっと意味が分かりにくいのだが、とても惹かれる。今度機会があったら意味するところを調べてみたい。あるいはご存知の方、教えてほしい。
藤田湘子の句、「原爆ドーム付近にて」という詞書きがある。原爆ドームの連想は夏が多いが、たくましい生命力を対置している。


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