Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブルーライト削減ソフト購入

2014年03月07日 19時51分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ブルーライト削減ソフトを購入してみた。パソコン画面はあまり気にはならないが、スマホの画面が目に痛いので購入してみた。
 まずはパソコンにインストールしてみたが、もっとも強くすると画面がすっかり黄色くなってしまう。ということで、パソコン画面では多少機能は落として使用することになりそうだ。
 スマホの方はこれからインストールするが、効果はどうであろうか。

 本日も寒かったが、明日もまたかなり気温が下がるとのこと。今年はだいぶ寒い日が続くようだ。
 例年ならば「桜はいつ開花するのか?」などの話題がニュースに大きく取り上げられるのだが、今年はまだそんな話は聞かない。他のことにニュースの題材が向いているからだろうか。
 しかし東京の開花宣言のサクラの木は、靖国神社の木というのが私には気に入らない。それこそ気象庁の敷地内でも、憲政記念館の敷地でも、国会敷地内でも、どこでもいい。東京のサクラの開花予想だから、上野でも、県庁前でも、いい。靖国にこだわらずにどのサクラでもよかったではないか?と思う。前々からの経過があるのだろうか?気象庁としてのこだわりがあるのだろうか。
 どの木を基準にするか、わたしなどは特に気にかけないし、木が変わったっていいではないかと思う。

 先週一緒に飲んだ中・高校時代&就職先が同じだった友人が、神奈川大学のエクステンション講座の受講申し込みをしたようだ。詳しく聞いたら、私の受講する講座とずいぶん重なっている。興味のあり様は、少年だったころとは違って現在は随分似通っている。その二人が50年ぶりに机を並べて同じ講座を聴くことになる。
 彼は私よりはきっと理解力は優っている。同じ話を聞いても間違いなく彼の方が多くを理解し、記憶するはずである。昔はすくなくともそうであった。今もそこで競ってもまったく勝負にならないと思う。しかし還暦過ぎのオジサンのことであるから、そこで競っても意味はない。お互いに補完しあう仲であれば嬉しい。




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子安村の西洋野菜栽培とトマトケチャップ

2014年03月07日 18時02分15秒 | 山行・旅行・散策
      

 昨日夜遅くて暗いため写真を撮り損ねた案内板の写真を午後に撮影してきた。場所は京浜東北線の新子安駅のすぐそばの国道15号線の下り車線側の歩道に面したマンションの敷地と歩道際。
 歩道には、「トマトケチャップ発祥の地」と刻まれた石柱が建てられている。裏面に「平成23年5月」の日付がある。この碑もマンション自体も新しいので、私が初見であるのは仕方ない。一昨年以降この道を歩いたのは、上り車線側の歩道である。案内板のあったのは、下り車線側の歩道で、ここ3年ほどは歩いていない。
 マンションの敷地内に歩道に面して、「西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと」という案内標識が建っている。
 文面には「子安は最初に西洋野菜を栽培しトマトケチャップ製造ははじめた農村のひとつで、当時の人々の努力による実りが、今の食卓を彩っています。」とはじまり、「1859年の横浜開港でキャベツやトマト、セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、アスパラガス等といった西洋野菜が日本へ入ってきた。1862年、居留外国人ローレイロが山手に菜園を作り、根岸、磯子、子安など近隣農村へ急速に広がった。」
・子安村では堤春吉が1866年頃、外国船に食材を納めるためにセロリ、カリフラワー、バート、ラディッシュ、玉ネギなどの栽培を始めた。
・子安村は東京と横浜の二大消費地へ近かったため、土壌も適し、明治の半ばには栽培農家は80戸、1894(M27)年には清水興助がトマトケチャップ製造会社清水屋を始めた。
・1911年には西洋野菜の作付は50ha近くに。西洋野菜栽培が全国へ広がる基礎となった。
・しかし大正初期から埋め立てが進み京浜工業地帯と変化した。
 
記されている。

 この案内板については「横浜市環境創造局農業振興課」の「市民と農との地産地消連携事業HP」が記載されている。横浜の「農」についての詳細はこちらのホームページなどが詳しい。

 とりあえず、旧東海道を歩く人のための紹介がてら、「薀蓄」を披露。


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