Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム-」展(その2)

2014年04月15日 22時57分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 70代後半のピカソは南フランスで過ごす。この時期リノカットという独自の技法を獲得してから、ピカソの版画は色が溢れるように湧き出てくる。闘牛と女性と馬という主題が繰り返し出てくる。
 「バッカス祭」(1959)。バッカス神は豊穣、葡萄酒の神で収穫の祝祭の神でもある。人々が酒や饗宴に酔い痴れ踊り続ける様は古来から描かれてきた。空と地面の青を基調とした版と、地面と踊る人間・動物の黒と茶を基調とした版の二つに分割された版からできているとのこと。空の白と青の紋様に私はとても惹かれた。このような空の表現に自由奔走な画家の感性を感じた。



 「草上の昼食」(1962)はマネの「草上の昼食」を下敷きにしたもので、油絵、パステル画、デッサンなど様々な表現で繰り返し描いている。人物が元の絵よりも大胆に性を表現している。元の絵では男性もいたが、ピカソは女性だけにしてしまったようだ。しかも先ほどの絵とは違って今度は黄色と赤が氾濫するように溢れている。
 マネの絵はこんなにも激しく、艶めかしく、そして奔走ではなかった。時代の変化でもあり、思想の変容でもある。20世紀の激しい時代の変化を感じる絵ではないだろうか。そしてピカソという人物の性に対するこだわりを感じる。

   

 二つの「ランプの下の静物」(ともに1962)は私はとても完成度の高い作品に思えた。激しい情念や体の動きは影をひそめ、明るい電燈のもとでね静物が存在を誇示している。少しだけ飛び跳ねてひかえめな動きを見せているのかもしれない。グラスと思しき器も光を享受している。ピカソという人物の安定した精神状態を表しているように見える。妻ジャクリーヌとの平穏な生活を思わせるものがある。

 これらの作品、いかにもピカソという側面を見せてくれる。特に色の豊穣な氾濫に私は圧倒された。とても充実した時間を過ごしたように感じた。

 実は最晩年の1968年には300点を大いに超えるエロティックな女性を描いた銅版画でピカソは有名になるが、今回はこれらの作品は展示されていなかった。評論家には酷評された版画であるが、本人はいたって真面目に作成したといわれている。版画作品としてはピカソを語るに欠かせない作品らしいので、私は期待していたが、残念であった。別の機会に期待しようと思う。



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「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム-」展(その1)

2014年04月15日 20時53分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 町田市立国際版画美術館での「パブロ・ピカソ-版画の線とフォルム」展はなかなか見ごたえがあった。展覧会の副題にまで言及できる能力は無いが、私なりに気に入った作品を取り上げてみる。



 この「貧しき食事」(1904)は友人の肖像とも自身の貧しい現実の反映とも言われているようだ。ごく初期の作品として有名だ。以上に長い指、盲目の男、極めて貧しい食事内容、そして版画の銅版が購入できずに譲り受けた版画用の板をきれいに消しきれずに全所有者の風景画が背景の壁に残っている点などが有名だ。
 妙に艶めかしい女性の肢体、別々の方向を見る男女だが男の指が親密な関係を表している。
 私はテーブルクロスの皺が昔からとても気に入っている。決して平たんではなさそうなふたりの心の襞を想像させる。男と女の明暗が面白い。男には不安がどこかに潜んでいるようだ。



 武者小路実篤に贈られたことで有名なこの「ミノタウロキア」(1935)は、牛頭人身の怪物ミノタウロスと闘牛を意味するタウロキアの合成語とのことである。不思議な絵で、いまだに様々な解釈がされるているとのこと。この作品7つのバージョンがあるようで、これは最後のものとのこと。
 54歳のピカソが最初の妻と別れる年でもあり、性・破壊・暴力・怪物などの独特のイメージが凝縮している。しかしさまざまなイメージやシンボルが混在していても統一的な主題、主張となっていないと思う。
盲目のミノタウロス、胸を露わにした女性と馬、蝋燭と花束を持ってミノタウロスを導いている少女、梯子を上るキリストらしい男、窓から覗く二人の女性、船らしいものが浮かぶ水辺‥どれもが何を象徴しているのかわからない。悪魔的なミノタウロスと聖性を示しているのであろう少女、倒れた偶像のような裸の女性、無力なキリストは第二次大戦直前の不安なヨーロッパの政治状況の反映と見ることもできるかもしれない。かといって少女には何が投影されているかは分からない。では窓枠の二人の女性と水辺は何の象徴であろうか。
 この作品を見るたびに私のイメージは毎回同じように堂々巡りをする。そしてわからなくなってそのままに放置をする。いったい何回同じことを繰り返したであろうか。



 「ダヴィデとバテシバ」(1949)は全部で11のバージョンがあり、今回9つのバージョンが展示されている。ルーカス・クラーナッハの同題の作品(1526)をもとに、具象的な描き方から次第にピカソ特有の造形に変化していく過程が面白い。他にもこのように変化していく過程がわかるものがいくつかあり、とても興味深かった。この作品では私はここに掲げた今回展示されているものでは最後のバージョンが一番気に入った。第2以降は黒が優っているのだが、白黒のバランスはこれが一番落ち着いて見える。
 ダヴィデの横の人物がより具象的になり、左下のバテシバの足を洗う女性の乳房がより白く強調され、さらにバテシバの顔から、後ろの侍女の顔へと左上にのぼっていく白い流れ、ダヴィデの周囲から左回りの視線の流れが面白い。また洋服や壁や植物の葉の白い線状の模様もこのバージョンが一番はっきりしている。これが完成作品とみてもいいように思えた。乳房の強調は原画にはない、ピカソ特有のこだわりらしい。



 この「鳩」(1949)は第一回世界平和会議のポスターとして制作されたとのこと。葉とは少年時代からピカソが好んだものらしい。パリに在住し続けてて戦争の終結を待ったピカソは戦後共産党に入党し、この会議に担ぎ出されたりした。この辺は私には理解できないところであるが、その奔走な作品にも関わらず、その死まで党員であったらしい。
 しかしこの「鳩」、版画とは思えない表現である。鳩に対する思い入れ、戦後のピカソの安定した時代を象徴しているのかもしれない。




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