Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ハマの東海道」展

2014年04月20日 21時15分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日は横浜市歴史博物館へ「横浜市旧東海道魅力づくり事業連携企画『ハマの東海道』」展に行ってきた。
 横浜市内には旧東海道の宿が三つある。神奈川宿・保土ヶ谷宿・戸塚宿である。宿内だけで神奈川宿は6000人・1300余軒、保土ヶ谷宿は3000人・550余軒、戸塚宿は3000人・600余軒を超え、周辺の人口も含めると膨大な人口の経済圏を有していた。鶴見から街道沿いには三宿だけでなく鶴見・子安・芝生・境木など休憩所を兼ねた立場があり、ほぼ家並みが絶えるところはなかったといわれている。
 日本橋から40キロという一日の行程が戸塚宿までであり、陸上交通と海上交通の結節点、西から江戸を目指した海運の終着点・西国への出発点としての役割も果たしていた。また八王子経由の甲州街道の近道としても大きな交通の結節点であったと思われる。これが横浜開港の理由でもあった可能性も高い。
 今回の展示で私が一番興味をひかれたのは、神奈川宿のジオラマ模型。地形図をもとに当時を復元した模型だが、現在の街並みと比較しながら当時を想定できるすぐれものである。
 東海道53次全体を揃えた初代広重などの名所図会などは全体を見る機会があまりないだけに嬉しかった。広重がどのように構図に苦心しながら名所図会を改定していったかの過程もわかる展示となっている。浮世絵の歴史もうかがえる展示である。

         





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夏目漱石と西洋音楽

2014年04月20日 12時31分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩、夏目漱石と音楽の関係で私の感想を記載した。それはあくまでも私の体験に基づいて出来上がってしまったイメージである。漱石の小説世界と私の頭の中で結びついてしまったブラームスの曲想の連動が私にはある。

 しかし布団の中で実際に夏目漱石と西洋音楽との結びつきとどうなっているのかというのが気にかかった。
 私の情けない記憶では確か「三四郎」の中で美禰子の練習するヴァイオリンを三四郎が聞く場面があったと思う。また寺田寅彦がクラシック音楽に関心が強かったので、「猫」でも音楽会に出かける場面があったように記憶している。
 しかしともに作品をめくっていないので間違っていたらゴメンナサイだが‥。
 なお、西洋音楽ではないが漱石は謡曲を習っていた。これもあいまいな記憶だがとても聞いてられないものだったようで、鏡子夫人に酷評されたようだ。

 そんなことを思い出してネットで検索してみたら、こんなチラシがあった。すでに終了してしまった講演会と音楽会であるが、今から思うとこれは是非参加したかった。

      

 このチラシによれば、「野分」でも音楽会に行く場面があるとのこと。すっかり記憶から抜けていた。
 このチラシにある音楽会で演奏された「幸田延のヴァイオリンソナタ」を調べてみると、幸田延は幸田露伴の妹で、日本で最初のクラシック音楽作品とされている。現在の横浜平沼高校の校歌の作曲者(作詞は佐佐木信綱)とのことである。このことはそういえばそんなことをどこかで誰かに教えてもらったような記憶が微かに蘇ってきた。
 演奏会の曲目を見るとヴュータン、メンデルスゾーン、ドボルザーク、ショパンが並んでいる。
 ケーベルは漱石が東京帝国大学で西洋哲学を教わったラファエル・フォン・ケーベルのことで演奏家でもあった。

 夏目漱石とクラシック音楽ということを材料にしていろいろな論考や試みもなされるようだが、しかし当の漱石先生はどうも音楽についての感受性と素養は、お持ちではなかったように思える。ましてブラームスとはほとんど接点はなかったようだ。あくまで個人の勝手な連想だから一向に問題はないが‥。



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