本日は日吉駅から歩いて川崎市立井田病院の傍に出向いた。用事が済んだあと、真新しい井田病院の2階にあるレストランで、鳥のささみと野菜を中心とした「ヘルシーランチ」を食べてから、7階の展望ラウンジで展望を楽しんだ。ラウンジからは川崎の中心部から、横浜の中心地、そして丹沢山塊にかけて実によく見える。鶴見つばさ橋、大黒大橋、ベイブリッジも遠望でき、みなとみらい地区のビル街も新横浜のビルも手に取るように見える。丹沢山塊に重なるように富士山を望んだ。なかなかいい眺めである。横浜駅からわずかしか離れていないが、丹沢山塊と富士山の微妙な位置の変化が面白い。歩く楽しみのひとつでもある。
この横浜市と川崎市の境の尾根道の川崎側に立つ井田病院は、37年ほど前に日吉に住んだ折に入院した病院である。古い病棟は現在解体中で、この後にさらに新しい病棟が建つ予定らしい。工事看板を見るとかなり大きな病院になるようだ。日吉駅から歩いて私の足で12分程、周囲の道路はとても狭いのだが、武蔵小杉駅や日吉駅、川崎市内の上平間方面にバスが頻繁に出ている。今ではかなり便利な病院のようだ。
この病院は懐かしい。結婚して半年、たまたま流行っていた急性肝炎に罹ってこの病院に3週間ほど入院した。ここに入院したおかげで学生時代から丸8年吸っていたタバコをやめることができた。恩義ある病院ともいえる。当時常に喉がいがらっぽくて、タバコを吸うと一層辛かったが、吸うのはやめられなかった。毎日寝る前と朝は痰が詰まってそれも辛かった。タバコは自分には向いていないと思い、やめる機会をうかがっていたともいえる。
入院した時は内科のベッドが満杯で、一時的に呼吸器病棟に入った。この病棟では看護師がタバコの害をまわりの入院患者にくどいように説いて回っていた。いろいろなパンフレットも貰って読んだ。退院してからもタバコを吸わなくなって結局タバコをやめることができた。あの時以来37年間タバコを1本も吸っていないが、実にスムーズにやめることができたと感謝している。
ただし私の病状についてはまったくといっていいほど説明がなされなかった。急性肝炎ということは伝えられたが、肝臓に血流を確保するために横になって寝ていることが重要であるとか、どんな点滴をしているのか、処置の概要、食事の指導、退院の見通しなど医師からの説明が一切なかった。ただ寝ていろ、としか云わないし、医師も時々顔を見せるだけで何も云わなかった。こちらがしびれを切らして微熱や頭痛は治まるのか、どのように治療するのか、職場になんといって説明したらいいのか、などいろいろ聞くのだが今ひとつはっきりしなかった。
そして熱も下がり、頭痛もなくなって3日ほどしたら突然に「明日退院していいです」と通告された。その後の生活の注意点、病院へいつ来たらいいのか、血液検査の結果など何も云われずに、退院手続きだけの説明がされた。私は退院後に「急性肝炎」について本を購入して勉強せざるを得なかったが、A型なのかB型なのかすら教えてもらえなかった。職場に提出した診断書で初めてA型肝炎という記載を見ただけであった。職場の近くの内科に赴いてその診断書を見せて、今後の生活上の注意点、血液検査の頻度などを聞いたことを思い出した。当時の医師ももう退職してしまったと思う。
当時は患者への説明は今と違ってしないのが当たり前、患者は黙って医者や病院の処置に従っていろ、という状況だったのだろう。私のようにしつこく聞く患者は嫌われていたのだろうと思う。
今とは雲泥の差である。今は公立でも私立でも、どんな小さな病院でもこんなことは行われないであろうし、そんな病院は廃れてしまう時代だ。
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この横浜市と川崎市の境の尾根道の川崎側に立つ井田病院は、37年ほど前に日吉に住んだ折に入院した病院である。古い病棟は現在解体中で、この後にさらに新しい病棟が建つ予定らしい。工事看板を見るとかなり大きな病院になるようだ。日吉駅から歩いて私の足で12分程、周囲の道路はとても狭いのだが、武蔵小杉駅や日吉駅、川崎市内の上平間方面にバスが頻繁に出ている。今ではかなり便利な病院のようだ。
この病院は懐かしい。結婚して半年、たまたま流行っていた急性肝炎に罹ってこの病院に3週間ほど入院した。ここに入院したおかげで学生時代から丸8年吸っていたタバコをやめることができた。恩義ある病院ともいえる。当時常に喉がいがらっぽくて、タバコを吸うと一層辛かったが、吸うのはやめられなかった。毎日寝る前と朝は痰が詰まってそれも辛かった。タバコは自分には向いていないと思い、やめる機会をうかがっていたともいえる。
入院した時は内科のベッドが満杯で、一時的に呼吸器病棟に入った。この病棟では看護師がタバコの害をまわりの入院患者にくどいように説いて回っていた。いろいろなパンフレットも貰って読んだ。退院してからもタバコを吸わなくなって結局タバコをやめることができた。あの時以来37年間タバコを1本も吸っていないが、実にスムーズにやめることができたと感謝している。
ただし私の病状についてはまったくといっていいほど説明がなされなかった。急性肝炎ということは伝えられたが、肝臓に血流を確保するために横になって寝ていることが重要であるとか、どんな点滴をしているのか、処置の概要、食事の指導、退院の見通しなど医師からの説明が一切なかった。ただ寝ていろ、としか云わないし、医師も時々顔を見せるだけで何も云わなかった。こちらがしびれを切らして微熱や頭痛は治まるのか、どのように治療するのか、職場になんといって説明したらいいのか、などいろいろ聞くのだが今ひとつはっきりしなかった。
そして熱も下がり、頭痛もなくなって3日ほどしたら突然に「明日退院していいです」と通告された。その後の生活の注意点、病院へいつ来たらいいのか、血液検査の結果など何も云われずに、退院手続きだけの説明がされた。私は退院後に「急性肝炎」について本を購入して勉強せざるを得なかったが、A型なのかB型なのかすら教えてもらえなかった。職場に提出した診断書で初めてA型肝炎という記載を見ただけであった。職場の近くの内科に赴いてその診断書を見せて、今後の生活上の注意点、血液検査の頻度などを聞いたことを思い出した。当時の医師ももう退職してしまったと思う。
当時は患者への説明は今と違ってしないのが当たり前、患者は黙って医者や病院の処置に従っていろ、という状況だったのだろう。私のようにしつこく聞く患者は嫌われていたのだろうと思う。
今とは雲泥の差である。今は公立でも私立でも、どんな小さな病院でもこんなことは行われないであろうし、そんな病院は廃れてしまう時代だ。
