
日曜日に横浜駅の傍の有隣堂でふと目について「四百字のデッサン」(野見山暁治、河出文庫)を購入した。
野見山曉治という人の名は私は馴染みは無い。現役の90歳を超える画家であることと、田中小実昌の義兄であることくらいしか知識は無いのだが、目次を見ると「戦争画とその後-藤田嗣治」「巨匠の贈りもの-坂本繁二郎」「同級生-駒井哲郎」「「自由美術」の画家たち」「「荒地」の詩人たち」などが並んでいて、思わず購入した。
藤田嗣治の思い出については「戦争画」について私の頭がまだまだ整理されていないので記述は遠慮する。しかし私の好きな坂本繁二郎の終戦直後のエピソード、「自由美術」に集った画家達、特に絵から想像すると謹厳実直に見える麻生三郎の酩酊の有り様、「荒地」派の詩人たちのエピソード、特に田村隆一と中桐雅夫の掛け合い、北村太郎の風貌など興味深く読んだ。
自分の好きな詩人や画家のエピソードは知りたいものである。本日一気に読み終えた。
野見山曉治という画家、この「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したという。文章は書きなれているとは思うが、ところどころに文章の破たん、意味の通じないところがあるのが何とも言えずいいところだ。画家が書く文章というのは、自分の作品について言及したのは敬遠したいが、他の画家のエピソードや評は私には刺激的である。
この文章のとおり、作品も私に大きな刺激を与えてくれるように期待したい。いつか野見山曉治という画家の作品をじっくりと見てみたいと思う。
洲之内徹は「ゆめまぼろしのごとくなり」の中で、
「対象から生まれる最初のイメージを画面に描き、すぐ、また、そのある部分を塗り潰し、押え、描き起ししながら、最終的なフォルムに近付いて行く。画面が刻々と変化し、推移するが考えてみれば、動き続けているのは野見山さんのイメージの方なのだ。「走っている今の時点にしか<私>はいない」と、絵の中でも野見山さんは言っているのだった。」
と書いてある。
私は野見山曉治という画家の作品をじっくりと見たことは無いので、なんとも言えないが、絵を見てこんな評を書いてみたいという気持ちになった。
≪追記≫
コメント欄で葦原の山姥様に指摘をしていただき、想い出した。テレビ番組で無言館のことを放映したときに、野見山曉治という名が出ていた。大事なことをすっかり忘却していたようだ。戦没画学生の遺作の収集・保存に尽力し、「無言館」設立へ繋がったということであった。ここは訪れてみたいところである。
2011年にブリヂストン美術館での「野見山曉治展」は残念ながら日程が合わずに見に行けなかったことも思い出した。図録は販売しているかもしれない。
