本日は横浜美術館協力会主催の講演会「木版画の魅力 幕末から現代の多様な表現」を聴いた。
講師は横浜美術館で開催されている「魅惑のニッポン木版画」展を担当した学芸員の太田雅子氏。
美術館協力会の講演会は30年近く会員を継続しているが、初めて参加した。油彩画や日本画の基本的な技術についても無知であるが、木版画など版画についてはさらに無知である。ほんの少しでもその技術的な側面がわかればという思いで参加させてもらった。
残念ながらその思いは達せられなかったが、それでも素人なりに得るところは大きかったと思う。
江戸時代に高度に発展していた浮世絵などの技法を背景に明治期以降に多様な表現を獲得して、戦後も大きな飛躍を遂げだ木版画は、現代も多様な技法と多様な表現への挑戦が続けられていることは理解できたと思う。
講演というよりもそれぞれの作品の背景や見どころを解説してもらったようだ。
今回の講演の前にもう一度会場を見て回り、吉田亜世美という作家の「YEDOENSIS-divine」という作品がいいと思った。展示室の外に展示されていたので、特に気に留めずに素通りしていたのだが、今回鑑賞させてもらった。
吉田博という今回も展示されている版画家が祖父、私が前回取り上げた吉田穂高・吉田千鶴子という版画家夫妻が親という家系であることは本日の講座で教えてもらった。
この作品について作者の文章が添えられている。
「春の長閑さは日本ならではの空気感に思う。桜さえなければもっと春を長閑に過ごせるのに、、、と和歌にあるように散る桜を惜しむ気持ちは1000年変わっていない。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
“500年後の桜”
品種改良で生まれ挿し木によってのみ繁殖してきたソメイヨシノは、新たなる進化を遂げる。閉塞花は蕾のまま落下し地中で発芽を待つ。進化を遂げた動植物だけが存続を許される未来。古く錆びた鉄の遊具は人口減少を示唆し、時の経過と人間の痕跡だけを残す。未来の日本に長閑な空気感はあるのだろうか、、、」
作品の題の「YEDOENSIS」とはソメイヨシノの学名。divineとは「神聖な」という意味だが、作者は啓示のような意味合いで使用しているとのこと。人工的に作り上げられ寿命も短いソメイヨシノが、「閉塞花」という形態を獲得して「未来に生き残る」という仮想をとおしての表現である。
左の桜の枝から時間をおいて「閉塞花」がひとつずつ落下する様子が映し出される。この落下のイメージは、作者の言葉を待たずとも、ソメイヨシノのその激しい生命の燃焼の証としての豊穣な花の開花と、種としての短命さを象徴している。同時にそれを作り出した日本という国の、高齢化という現状の滅びの予感をも錆びた古いジャングルジムで象徴している、と断言できる。子供が遊ばなくなった公園に咲くソメイヨシノというイメージは、現代日本の状況そのものである。
私はこのように多弁に画家が語ってしまうことは好みではないが、白い壁に投影されたかのような紫の桜のイメージ(これが版画)と錆びたジャングルジムを配置したインスタレーションはなかなか示唆に富む。鑑賞者による他のイメージも作り上げ可能であろう。時間軸を読み込んで過去と未来を自由に飛翔するのも面白い。作者の語り以上にイメージを膨らませることができる。そのイメージをあれこれ考えるのは楽しいものである。
人気ブログランキングへ