Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

いやな世界

2014年04月23日 22時48分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は昼過ぎから、とても大切な友人とビールを飲んでいたらすっかり酔ってしまった。たぶん呂律が回らなくなったと思う。すっかり迷惑をかけてしまったようで申し訳ないと思っている。申し訳ありませんでした、と謝るしかない。とても恥ずかしい。

 そしてその帰り途中、東京駅で降りて美術館巡りをしようと思ったが、酔っぱらって頭が回らないし、何よりもオバマ来日でどこに行っても人を威圧するばかりの警察官が目につくので嫌気がさしてしまった。東京駅から外に出る気力がなくなった。

 こんなにも人からさえぎられることで成り立つ「政治」というものに、もうウンザリであると、政治と政治家を突き放してしまわない限り、政治が良くなるわけがない。
 政治は国民との距離感が無くならない限り国民の手には戻ってこない。近代的な国民国家が成立することがなかった日本、政治がますます国民の意識や思いからは遠くなっていくようだ。

 江戸時代、政治は江戸城の中で民衆の思いとは違うところで成立していた。明治維新後の政治も結局は皇居の中で行われ、誰にも責任を取らないことによってあの大量の国民を「殺戮」することにためらいを見せない政治・軍事が当然のように行われた。
 その大きな犠牲と代償の結果としての戦後、少しは開かれた政治が期待された。しかし結局政治は、国民からは遠いところでしか成立しないものでしかなかった。幾度かはそれが変わる可能性が、戦後の政治の中であった。しかし残念ながらその都度いつも裏切られてきた。国民の直接の政治行動はすべて否定されてきたし、「選良」の判断を覆す国民の側の力量も鍛えられることはなかった。
 国民には見えない「皇居」という秘密のベールに包まれた空間の中に回帰してしまいそうな「政治」が今横行している。国民に開かれた政治であるべきこの21世紀に、なんと反対の方向、しかも戦前に回帰する以前、明治の時代以前に遡るような、近代国家とは到底相容れない世界に足を踏み入れようとしていないだろうか。

 長生きはしたくないと、心底思う時代になりつつある。




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