先ほど5時半近くにテレビを点けたらBSプレミアムでBS歴史館の「葛飾北斎」の再放送をしていた。後半をずっと見ていた。出演者が誰なのかは私は顔を見てもさっぱりわからないのだが、いくつか面白い指摘、私も昔から気付いていた指摘もあり、興味深かった。
まず、富嶽三十六景を描いた契機について。
ある上人の富士での幕府に対する抗議的な動機による断食死をきっかけとして始まったという富士講に対する北斎の強い思い入れがあったようだという指摘があった。富士講に参加する人のためにだけ描いただけでなく、動機としてはさらに踏み込んだ指摘だったと思う。しかしそれがどのような内容だったのか、までは今ひとつ理解できなかった。今後機会があれば勉強する視点として私の記憶に残しておきたいと思った。
次にこの富嶽三十六景の絵の具が従来の日本で使われていた青(緑青や藍)ではなく、西洋由来の「ベルリンブルー(プルシャンブルーあるいはベロ藍)」と云われるフェロシアン化第二鉄を主成分とする顔料が多用されているとのこと。これによりこれまで以上に明るい青のグラデーションが可能になったようである。表現の幅を大きく広げたようだ。またこれが江戸時代の庶民などの購買層に受けたようだ。
三点目は以前どこかで教わった点でもあるが、富嶽三十六景は構図的には富士山ではなく、働く庶民が中心であるということ。これは指摘のとおりであると思う。私は富嶽三十六景が人気を博した根拠の一つに、江戸時代の庶民層がそこに自分達の労働の姿を発見し、極めて親近感を持ったことがあげられると感じていた。現代から見てもその働く姿は生き生きとしている。生産に従事する庶民が、単なる背景や通りすがりとして描かれているのではなく、主人公のように描かれているのは画期的なことではなかっただろうか。そのことが指摘されていた。あらためて鑑賞するときの視点として忘れずに覚えておきたい視点だと思う。
さらに今指摘した通り、富士山があくまでも点景として描かれていること。三十六景(実際は追加して46枚構成の四十六景だが)、その富士山は画面の中で描かれていても、大きさも視点もすべて違っているとのことである。これは初めて知ったことであるが、これも構図のマンネリ化・様式化・画一化を避けている重要な点であろう。点景であるにもかかわらず、富士山がそこになくてはならないような位置に存在感を持ってどっかとある構図の魅力、あらためて作者の力量に感じ入った。
またこれも有名なことであるが、あまりに鋭利にとんがった富士山の頂上である。これが風景の中で違和感なく収まっていることも不思議だ。この鋭利な富士山の頂上が違和感なく鑑賞できるのはなぜであろうか。どの絵を見ても富士の頂きが鈍角であったなら、とても間延びしたしまりのない絵に見えるはずだ。実際の姿とは違う姿になることで、富嶽三十六景の富士は富士山となったのである。
私は、昨日横浜市と川崎市の境界付近から見た富士山の情景を記したけれど、関東近辺では富士山はやはりランドマークであり、微妙な位置の変化がウォーキングや旅の醍醐味となる。北斎は十二分にそのことを承知の上でこのシリーズを描いたとしか思えない。
こんなことを考えながらテレビを見ていた。
最後の方で、「北斎漫画」にもテレビではふれていた。北斎は、あの膨大な人々の肢体を執拗に描き、シリーズ化することによって、自分の周囲の世界全体を自分の表現で描きつくしたいという欲求に取りつかれていたのではないか、というのが昔からの私の想像である。
「全世界を獲得するために‥」というのは1950年代末に発足した有名な日本の反体制派の出発点であるが、北斎にはそんなエネルギーを私は感じている。北斎は江戸にあるオランダ人の宿舎を訪れて直に自作を売買していたらしいとのことである。確かに江戸市中にオランダ商館をとおした「南蛮渡来」の商品を扱う店があり、西洋由来のものがかなり出回っていたことも周知のことである。北斎は江戸という鎖国体制の限界を突き破るかのような庶民の逞しいエネルギーと、新しい世界への希求をあの「北斎漫画」をとおして夢見ていたのかもしれない。
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