Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ツツジの蕾

2014年04月06日 20時06分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 大雨・雷・強風注意報が出ている14時半過ぎに家を出て横浜駅へ。雨が小降りだったのを見極めて家を出たのだが、とたんに強い雨とともにあられが大量に降ってきた。粒は2~3ミリほどで、地面に落ちると2~3回ほど跳ね上がってすぐに融けてしまう。手のひらに受けてもすぐに融けてしまう。道路上に残ることもなかった。しかし傘にあたるとかなり大きな音がしていた。音が大きいと不安になる。雷の音も一緒になると恐怖心が湧いてくる。駅までわずか8分ほどだが、自然に足早になっていた。

 横浜駅近くの眼鏡店でフレームのゆがみを直してもらった。オーロラツアーでゴーグルやフェイスマスクをしたためにゆがんだのだが、やっと気分がすっきりとした。

 夕方帰宅するときにはすっかり雨があがり、空も透明度の高い青空に小さな白い雲が点在する程度で、大変明るくなっていた。西の空、富士山と丹沢を隠すように黒っぽい雲が少しだけ残っていたが、それも夕方の日を浴びて一部は明るく輝いていた。間もなく晴れあがるように見受けられた。明日の天気は良さそうである。



 団地に入ってから団地の中のツツジの蕾が随分と目立ってきたことに気付いた。まだ白いので、花の色がわかるほどではないが、この時期になってようやく蕾が目立つようになってきた。例年よりは遅いとおもう。例年ならば日当たりが良くて、気が早いものは咲いているものもある。
 今は団地の中に限らず、レンギョウが明るい黄色の花を揺らしている。これがまもなくツツジの赤や紫、白に塗り替わるが、並行してヤマブキの黄色が優ってくる。そしてフジの花が咲き始めると今度は、ビヨウヤナギの黄色が目立つようになる。このように黄色の花を軸に彩りが移り変わるのを見るのも楽しいものである。

 さて、明日は多磨霊園に墓参りに行く。例によって妻と二人で、母親と叔母合わせて3人に同行する。3人ともいたって元気なのがありがたい。多磨霊園のある小金井市周辺は、横浜よりはいつも開花も見ごろも遅い。それでもサクラは残念ながら大分散ってしまったと思われる。そして天気予報では、いつもより気温が少し低めなのが気になる。
 年に二回の墓参、春の彼岸のころはまだ寒いので、4月に入ってサクラが散る頃の方が少しは暖かくて良い。清明節の墓参というのは気候的には理に適っているのだろう。私が仕事をしていた時は、私の日程に合わせるのが難しかった。最近は仕事をしている子どもの日程に合わせられないのが申し訳ないと思っている。今回も子どもは仕事で参加できない。秋の墓参では日程を合わせないといけない。



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女川産「サンマの丸干し」

2014年04月06日 13時40分37秒 | 料理関連&お酒
 眼鏡の形が歪になっているようなので、眼鏡店で修正してもらいたいのだが、雨が降ってきた。また雷が遠くで鳴り始めた。出そびれてしまった。
 久しぶりに学生時代にいつも作っていた野菜炒めを食べたくなって、冷蔵庫や野菜籠から玉ねぎ1個、長ねぎ1本、ピーマン1個、チンゲン菜の芯2個を漁り、ベーコン1枚を加えて、適当に切って塩コショウで味付けして炒めた。ご飯は昨晩のタケノコご飯の残り。
 生姜のみじん切りやニンジンも加えたかったが、たまたま見つからなかった。野菜籠の下の方にあったかもしれない。

 野菜炒めというのは私は玉ねぎのサクサクという歯触りが大好きで、必ず入れる。玉ねぎをメインにしている。そしてその玉ねぎを最後まで一切れ一切れを味わいながら食べるのが好きだ。長ねぎもいい。ピーマンも欠かしてはいけない。後は適当。
 味付けは塩・胡椒以外はまったく不必要である。化学調味料が入っていては「正しい野菜炒め」ではない。醤油や味噌を少し加えるのは楽しい。鰹節を入れて見たり、ジャコを入れるのは面白い応用だとは思う。揚げを細かく刻んで入れるのもいい。

 さて、昨日は妻が横浜駅のデパートで、女川のサンマを手に入れてきた。サンマの丸干しと味醂干し。その内丸干しを2尾焼いてみたがとてもおいしかった。身が適度にしまっていて久しぶりに丸干しが美味しいと感じた。
 たけのこご飯とこのサンマの丸干し、煮野菜という地味だが私には贅沢な夕食になった。

 さて、オーロラツアーの記事をまだ書いていないことに気付いた。今週中にとは思っていたが‥。来週中には書いてしまわないと何があったか忘れてしまいそうである。




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清明

2014年04月06日 11時55分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 ネット情報を要約すると清明とは

 二十四節気の第5。太陽黄経が15度のときで4月5日ごろ。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の穀雨前日までである。
 中国では清明節は祖先の墓を参り、草むしりなど墓を掃除する日。日本ではお盆に当たる年中行事。また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれ。
 沖縄では「シーミー」と発音し清明祭ともいう。中国の風習と同様にお墓の掃除をするとともに墓参を行い、親族が揃って墓前で祖先と共に食事を楽しむ風習がある。

ということになる。

 私はこの言葉の語感が昔から気に入っている。いかにも春たけなわのころの明るい、心地よい大気の状態を言い表しているようだ。水が満ちて来るイメージを感じる。「水温む」という季語があるが、私はそれとダブってイメージしてしまう。ただし日本ではあまりなじみのない言葉でもある。
 季語としてもあまり使われない。歳時記に記載されている俳句も、「清明」の説明のような俳句が多いようで、ちょっと寂しい。

・清明の雨に光れる瑠璃瓦  古賀まり子
・清明や壺に満ちゆく水の音  片山由美子
・清明の雨浸みわたる千枚田  水田光雄
・清明の詰襟きつき喉仏  岡部秀子
・清明の白いアンテナ使徒を待つ  加藤晃

 「清明」を「水温む」「春の水」と変えてもいい句も散見される。
 最後の5句目は、ちょっと理解できていない。「白いアンテナ」と「使徒」。アンテナがテレビアンテナか、電波塔かわからないが、いづれにしても「白い」が私のイメージでは唐突に感じている。そして「使徒」も。これが解ければいいのだが。私のイメージが追いついていないのだと思う。どうもイメージ喚起力が私には乏しいのである。ただしそうはいっても何か惹かれるものがある。心に引っ掛かる句である。
 これが「白い尖塔」「白い十字架」ならイメージとしてわかるのだが‥。私ならこうしてしまう。ちょっと通俗的で、「十字架」と「使徒」では附き過ぎているかもしれない。



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