ヴァロットン(1865-1925)という画家の名は初めて耳にした。スイス生まれでフランスのパリで画家として活躍した。チラシによれば木版画、油絵、戯曲と多方面に活躍したようだ。冷たい炎の画家、裏側の視線、というコピーがあるが、少し挑発的過ぎるコピーのような気もする。
134点もの作品がいくつかのジャンルごとに展示室が分かれていて、年代を追うのがいつものパターンの私にはいったりきたりするのかな?と思っていたが、意外とそうでもなかった。年代ごとにジャンルが分かれる傾向があるようだ。
最初の部屋は自画像画家として出発したヴァロットンの自画像から始まる。自画像が4点あって、20歳・32歳・49歳、並びに5人の画家を描いた中の38歳の自身の像。
20歳の自画像はチラシの2面のトップに掲載されている。一見若々しそうに見えるがよくよく見るととても老けて見える。20歳というより老成した風にも見える。間もなく結婚する32歳の自画像の方が若さがある。しかしそれも目は落ち着いている。どちらも冷静な観察者、ニヒルで社会に対して覚めた目の観察者であり続けるような視線である。
ナビ派の人々を描いた5人の群像の背後にいる自画像も、4人の暑い視線とは一線を画したクールな表情が気になる。ひとつの運動やグループ、社会にのめり込むタイプの性格ではないとまず感じた。
同じ部屋の2点の裸婦像にまず驚く。「チラシでは冷ややかなエロス」と表現されているが、私には人体そのものはとてもリアルでエロティックでありつつも構図自体の非現実性がユニークであると感じた。肢体もどこか非現実感がある。体の向きが少しズレがあったり、異常に長かったりする。しかし気が付くのは視線の非現実感と虚ろさである。にも関わらず肢体の陰影、彩色は余りにリアルである。女性に対する画家の独特の眼、心的外傷を想像してしまう。チラシの2面(中左)にある「トルコ風呂」はアングルの影響と云うことだが、その関連が私にはうまくのみこめなかった。しかしこの「水に浸かる女」というのは他の絵・版画にもある構図で、解明はできないが何かキーワードなのかな?と感じた。
次の部屋にある「肘掛椅子に座る裸婦」(チラシ2面、中右)というのは日本の浮世絵を思い浮かべた。室内の緑と赤の背景にはまったく遠近感がない。不思議な空間である。そして裸婦だけがボリューム感があり、裸婦だけが宙に浮んでいてこちらに迫ってくる錯覚を受ける。色彩による遠近感ということなのだろうか。成功した絵画かどうかは別として、惹かれる作品であった。
チラシ2面の下左の「リュクサンブール公園」の群集は、版画の中でさらに繰り返されるが、画家の人々の群れに対する関心の表明だと思う。しかしこんなにも混雑して、これほどまでに思い思いのことをする群衆というのは実際とは思えない。かなり人を詰め込んでいる。それだけ描きたい人を強引に詰め込んだということなのだろうか。
同じくチラシの下右の「ワルツ」とこの画家の他にはみられない不思議な絵である。空中に浮遊する人は神話のシリーズの中に出てくるが、これはそれとは別の試みと思われる。ムンクの絵のようでもあり、左下の女性の顔はクリムトを思い出したが、飛躍しすぎなのだろうか?
チラシ表面の「ボール」はふたつの視点、2枚のスナップ写真の合成が生んだ奇妙に歪んだ視点が不安感を醸し出している、という説明がなされているがどうもうまく理解できない。不思議な静謐感があるというのはよくわかる。それは少女にあたる強い日差しと影、少女の頭上の大木の枝の当たる日射しに起因すると思う。ただしこの大きな枝の影が無い、あるいは少女の影と反対の左下の黒い影がその影かもしれない。ここが不思議な静謐感なのかと今でも思える。手前に少し高い建物があり、そこのバルコニーかどこかからの視点なのだろうが‥。
ただし画家の目は少女にも遠景の人物にも木々にも大地にも定まっていない。この世に対する違和感、疎外感がとても強い人格を感じる。
風景画では私の目を惹いたのがこの絵。不思議である。枝の赤がすごい。私はこの絵にも浮世絵の構図を利用したように感じたのだが‥。黄色のグラデーションもそうかもしれない。人物に対する画家の視線にはない自然に対する冷徹な目もまた独特のものがあったように思える。しかし風景画に関していえば、独自のスタイルの確立には至っていないと感じる。いろいろな模索をしているのは感じたのだが‥。
しかし第一次世界大戦に加わった後の激戦地を描いた3つの作品にはとても惹かれた。むごい戦場をこのように崇高に、静謐に鎮魂の意を込めて描いたものを私は知らない。記憶に残る作品だと感じた。
室内を描いた作品はチラシの3面の上部に掲載されている。室内を描いた作品、とくに扉を使った窓枠効果の作品は、演劇的な物語を匂わすという点でとても興味深く見た。女性に対する独特の画家の姿勢、そして家族、ことに結婚した相手のブルジョア的な家族に対する強烈な違和感を背景とした作品が強烈な印象をもたらす。
図録では「感情と衝動、抑圧と秘密の迷宮を通して、ヴァロットンは結婚とお金を取り巻く社会の強迫的観念を告発している」と記載している。文章そのものは厳密に理解するのは困難なこなれていない訳であるが、若い頃反対側に極めて近くにいた画家は、結婚相手の家族に随分悩まされたようだ。またとても違和感・距離感をもっていた。特にこの時代のブルジョワジーの退廃にはかなりの嫌悪感も持っていたようだ。図録の解説では「女性は冷ややかで残忍、軽薄で私利私欲に満ちた横柄な姿でえがかれ‥」とも記載されている。それがこの「赤い服を着た後姿の女性のいる室内」である。戯曲作家らしい演劇空間を想像させる絵である。
家族関係の確執は「憎悪」という作品に反映されているのであろうか。解説ではアダムとイブをパロディ化している、女性の風貌は妻ガブリエルを想起させる、と記載している。批評家の賞賛された作品とのことである。作品を実生活の直接の反映と短絡することは避けなければならないが、やはり画家は女性に対するにかなりの心的外傷があったと思える作品である。同時に忍耐強さも感じる。
静物画ではこの「赤ピーマン」が惹かれた。他に「キンレンカとプラム」「チューリップとマイヨールによる彫像」にも惹かれた。静物画のジャンルも私は気に入った。このピーマンの作品について「アメリカのポップアートを思わせる」「ナイフに映る赤い色は血のように見え、第一次世界大戦の犠牲者を想起させる」とある。「世界大戦の血」というのが飛躍しているのかどうかはわからないが、ナイフの先の赤は確かにピーマンの色が写っているにしては不自然な描かれ方である。不気味な感じである。心の中の性的な葛藤、あるいは男女間の葛藤、家族内の葛藤の象徴とみることもできるのではないか。
最後に木版画は風刺の効いた連作が多い。デモの情景であったり、祭りの情景であったり、群衆に対する関心、そして反体制的な気分を表している。新聞のヒトコマ漫画、風刺漫画のようになかなか辛辣である。そのような思いはこの木版画で表現している。これは第一次世界大戦を経験しての戦争のバカバカしさ、愚かさを描いた作品の一つ。黒と白の極端な画面の分割がとても印象深い。
ヴァロットンという画家、なかなか知的なアプローチを必要とする画家である。私などのように何の知識もなく、図録の解説を読んでもなかなか頭に入らないのだが、いろいろなジャンルでそれぞれに印象深い作品が並んでいる。私の印象では、肖像画、女性の裸体画、静物画、木版画にひかれた。風景画はいろいろ評価が分かれるかもしれない。歴史画は私には理解できなかった。
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