Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日からの講座(2)

2014年07月12日 22時16分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ふたつ目はこれまでの「アート鑑賞を楽しむ西洋美術基礎」と同じ講師の三沢恵子氏による講座。今回は今開催されている美術展の見どころを中心に解説してもらえる講座である。
 初回の今日は箱根のポーラ美術館で開催されている「モディリニアーニを探して」とBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「デュフィ展」の解説をしてもらった。
 モディリアーニは私にはこれまであまり縁の遠かった画家である。立ち読みの画集でしか知らない画家を丁寧に解説してもらえた。
 実は私は知っている数少ないモディリアーニの絵「ズブロフスキーの肖像」を見て昔からルオーのキリスト像の顔との類似性に引っ掛かっていた。本日「この顔を見て何を思い浮かべるか」と聴かれとっさに「ルオーのキリスト像」と答えてしまったが、これは確かに頓珍漢であった。
 正解は「セザンヌ」の肖像画であった。教科書的にもこの答えが当然なのでとても恥ずかしかった。しかし本当はちょっとこだわって「色の使い方、寒色と暖色の不思議な融合について共通点があるのではないか」と専門の方の意見を聞いてみたかったが、講座の時間のこともありそれはわがままの領域になるので遠慮した。
 モディリアーニの交友関係を聞く中で、ピカソや藤田嗣治、ユトリロなど多少馴染みのある、あるいは好きな画家の名が出てきた。そこでも素人なりの限界も痛感した。ピカソや藤田嗣治の展覧会に行けばそれぞれの画家のモディリアーニとの交友関係については指摘され、その都度それで知った気になるのだが、逆にモディリアーニの側からの交友関係になると途端にわからなくなってしまう。



 交友関係だから双方向で頭の中に入れなくてはいけないのだが、それがなかなかつながらない。本日初めて見たモディリアーニの青の色の優った肖像画「青いブラウスの婦人像」とピカソの青の時代の絵が結びついた。
 最後に「藤田嗣治はモディリアーニから何を学んだが、どうな技法上の影響を受けたのか」と質問したところ「藤田嗣治はあまり人の模倣や技術的影響を受けようとしなかったのではないか」という指摘を受けた。なるほどと思った。面相筆による独特の技法や画風へのこだわりからに、私はとても強い「プライドの高さ」「人の云うことは聞かない」という強さを感じてきた。その直感がひょっとしたら外れてはいなかったのかな、と思った。
 しかしこのモディリアーニ展は遠くて交通費もかかるし、入場料も1800円。少々つらい。19点のモディリアーニの作品、同時に展示されているピカソ、ユトリロ、藤田嗣治、ヴラマンクも是非見たいのだが‥。

 デュフィについては女性に人気があるらしい。私はマティスやミロやカンディンスキーなども一緒くたにしてしまって、色による心の共感を楽しむ画家と思っている。そういう点では男の鑑賞者は少ないのかもしれない。第1章の1900-1910年代の作品がいろいろの画家の影響を受けて作られたのがわかるとのこと。なかなかいい企画と思われた。
 モディリアーニよりは近いし、行きやすい。

 月1回の講座であるが、なかなか楽しみな講座である。




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本日からの講座(1)

2014年07月12日 21時13分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日からの講座はふたつ。



 はじめは「日本を読む-未来に向けて-」という5回連続講座の3回目。講師は間宮陽介京都大学名誉教授の「漁業問題を通して見た日本経済の光と陰」。当初想定していなかったが、震災復興に絡めた漁業問題の現代の課題を切開してもらえたと思う。

 東日本大震災の復興の過程で、岩手県の知事と宮城県の知事の判断が分かれた水産特区に対する考え方。実は漁業権と漁協のあり方を巡って震災以前から、漁場解放の議論があったことを紹介してもらった。
 災害復興についていろいろな意見を聞く場面があったが、今回の講演もそこに絡めた講義であったことが私にはよかった。一般論ではなく、切実な具体的課題として取り扱われたことが良かったと思う。
 マスコミ報道では漁業権への企業参入がいいことずくめで紹介されているが、そこに内在する問題点を市場経済論と法律論、資源保護の観点から提起してもらった。
 いいことずくめの報道の裏にかなりの問題点、失敗事例があることも理解できた。



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眩暈か船の揺れのような今朝の地震

2014年07月12日 10時08分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝4時22分頃、地震があった。2時過ぎに寝る私がすっかり寝入っている時間だ。目を覚まされるのが一番つらい時間でもある。

 微かなゆっくり揺れるのに気が付いたが、地震だとは思えなかった。何か眩暈でもしているのかと少し不安になった。時間にして数秒そのままでいて、ようやく地震ではないかと頭の中が整理されてきた。前震か本震かの区別がつかないまましばらく船に乗っているときのような揺れを感じたが、震度1未満に思われた。
 妻に「地震みたいだ」と声を掛けたが反応らしい反応もなく、そのうち私も再び寝入ってしまった。この時間は、地震であると頭の中で了解するまでにとても時間がかかってしまう。そして地震のことはもう頭から消えてしまった。

 5時半少し前に通りがかり人様からブログにコメントがあったことが枕もとのスマホに転送されて、地震があったとのことが記載されていた。ようやく「地震を感じたのは今朝方だったのか」と記憶をたどり頭の中の修正をすることができた。
 同時にメールをチェックすると地震情報が3つ並んでおり、津波注意報が出ていることに気が付いた。あわててテレビをつけて解除される時間までテレビをつけていた。特に被害が出ていないようであった。

 地震に気が付いた時は夢うつつでほとんど何の判断も出来なかった。大きな揺れならば目が覚めていたかもしれないが、それでも判断は一呼吸以上は遅れるだろう。ひどい揺れならばその一呼吸の遅れがあろうがなかろうが、命が危機に立たされる時にはもう手遅れである。しかしその一呼吸の判断の差で回避できるかもしれない。たとえば一瞬布団をかぶって頭を防御できるかどうかで差があるかもしれない。

 神戸の地震のとき、当時のNHK神戸放送局内の様子が繰り返し放映された。あの時仮眠していた方が飛び起きたのを見たが、状況の把握に一呼吸かかっていたのが思い出された。眠りの深い時間帯の地震は怖い。
 今朝のあのゆっくりとした揺れ、実は1964年の新潟地震を横浜で感じた時の揺れを思い出した。あの時は横浜でももっと揺れだが、ゆっくりと船酔いしそうな揺れだったことを覚えている。中学一年のときだった。学校の校舎の4階で体験した。

 まぁ、人は死ぬときには死ぬ。その覚悟・諦め・断念はどこかで持っていなければ、生きていけないのだが、避けられるものは避けたいのも本音である。



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