Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

汗疹が久しぶりに出た

2014年07月14日 22時56分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 久しぶりに外で飲んだ。店を出てから空を眺めながらのんびりと歩いて帰ってきた。日が沈んで以降の空が酔った眼にも美しく見えた。

 昨晩寝る前に背中が妙にかゆいと思って鏡を見たら、汗疹のような発疹が出ていた。かゆい場合に患部にぬるように云われていた薬を少量ぬって寝たら今朝にはほとんど治っていた。一番弱い副腎皮質ホルモン剤である。
 本日冒頭に記載したように、組合の会館を出てから少々重い荷をリュックに背負って居酒屋を経由して帰ってきた。その時にふと気が付いた。昨晩の汗疹様の発疹はどうも日頃から背負っている小さなリュックの外縁部に沿って出ているのではなかったか、と。
 帰ってからシャワーを浴びたのち、背中を再度見てみたら、普段からリュックがピタッと体に触れる線に沿ってうっすらと発疹のあとが残っていた。汗疹というのは間違いがなさそうである。

 汗疹というのは随分久しぶりである。そういえば20歳を過ぎてからは出たことは記憶にない。中学・高校の頃は腋の下や首筋、ズボンのベルトのあたりによく汗疹が出ていた。掻き毟っては化膿させていた。肥満児といわれていた時代である。
 大学に入って乏しいひとり暮らしをはじめて、体重がどんどん減るようになってからは汗疹が出た記憶はない。汗疹は贅沢病の範疇かもしれないと昔は考えていたこともある。贅沢が原因かどうかは別として、少なくとも食生活の改善と運動でかなり改善することは確かなようだ。
 ただし学生時代はこまめにシャワーを浴びていたわけではない。また30代、40代とさらに減量をして、シャワーもこまめに浴びていたが、山歩きで汗を流さないまま一週間も歩き続けるような過ごし方もしていた。そんな生活でも汗疹は出ていなかったように記憶している。
 この経験からは、常時シャワーを浴びて清潔にすることが汗疹防止とは直結はしないとも思われる。雑菌の繁殖を抑える皮膚の抵抗力と関係しているかもしれない。あるいは成長期である10代の頃の皮膚の特異な反応といえるのかもしれない。

 この歳になって汗疹が出るというのはどういうことなのであろうか。皮膚の抵抗力が減退した結果だろうか。それを思うと歳をあらためて実感する次第だが、本当のところはどういうことなのかわからない。歳をとって自然に治るものもある。逆に歳をとって発現する症状もある。歳をとってから昔と同じような症状が出る場合もあるのかもしれない。なかなか難しい。寂しい話ではあるが、皮膚の抵抗力の減退ということはあり得ることである。



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今朝の朝顔

2014年07月14日 09時34分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
      

 今朝は先日購入した朝顔の鉢に10個の花が咲いていた。白が2輪、藍が3輪、青が1輪、赤が4輪。4色全部が咲きそろったのは購入後初めてである。青が鉢に添えられた案内表示の色よりも淡いのが良かった。
 4色といってもそれぞれに内側の色が違う。この白は内側が淡い赤である。これが気に入っている。

 花というのは凝り性の人がはまると際限ないと云われるが、はまる人の気持ちがわかるような気がする。
 ひとつの種類の花にはまる人、いくつもの花を豪華に一年中咲かせる人、季節ごとに少量の花を楽しむ人等々、人それぞれにはまり方に違いはある。それだけ個性的なはまり方がある。またそれが魅力なのだろう。他の人とは違う自分だけのこだわり、はまり方を楽しむことができる。
 私などは毎日水やりや日当たりを考慮しながら鉢の位置を変えたり、肥料を工夫するのはどうも性に合わない。私が鉢を預かると間違いなく枯れてしまう。
 妻は水やりや日当たりを考慮していろいろ面倒をみるのが楽しみのようである。マメに世話をしている。ただし肥料についてはいたって淡白である。ほとんど興味を示さない。肥料については私の方がヤキモキしてしまうが、妻にはそれがわずらわしいようだ。
 そのためだろうか、翌年には花は咲かないか、咲いても貧弱な花しかつけない。それでも花の世話をするのが楽しみになっている。私はその花を楽しむだけである。妻に指図しても嫌われるので、楽しむだけにしている。私の花の栽培に対する執着心の欠如は娘に引き継がれたようだ。



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