先ほど20時15分位の時に突然雷鳴が轟いた。初めは「今日が花火だったか?」とあわてて外に出て見ようとしたら、それに続いて猛烈な雨の音が迫ってきた。スマホには雷鳴のとどろく20分前に「この区に時間換算雨量50ミリ以上の雨が降る」とのメールが来ていたのに気付かなかった。
雷鳴はごく短時間でおわり、突如降り出した雨も10分もしないで止んだので、多分被害は出ていないと思う。
しかし山梨県甲府市あたりに強い雨の区域があるようで、ともに東南に動いて横浜の中心部に向かっている。明日の朝まではこのような雨が繰り返すのだろうか?またこの時間から風が強まってきた。
本日はあまり作業が進まなかった。途中で頭痛が始まり、ロキソニンを服用してしばらくベッドで休息してから、点眼薬を処方してもらいに眼科へ。
帰宅後再度ボチボチを作業再開した。廃棄の書類等を50冊ほど出してから、分野別に本の占める場所を変えることにした。
しかし新書版の日本の古代史関係の本が300冊くらいある。よくもこれだけ買い込んだものだと感心している。8割は読んでいるが、何処の場所を占めるか悩みどころである。保存書籍は著者別に並べてある。歴史書については網野善彦を除けば分野としてまとめなければならない。再度かなりの量の廃棄も考えなくてはいけないかもしれない。
今年の山行の手始めは単独ではなく、妻と雲取山に行くことにした。昨年まで梅雨明け直後を狙って単独で北アルプスに行っていたが、今回は梅雨明けは夏休みに入ってしまうようだ。来週の土・日の二泊。
奥多摩駅からお祭りバス停で降りて、三条の湯-雲取山-三峰神社-三峰口というコースをたてた。先ほど「三条の湯」と三峰口の民宿に予約を入れた。しかし台風10号が怪しい動きである。最悪台風にぶつかる。その場合はキャンセルさせてもらうことを宿には伝えてある。一週間はヤキモキしながら過ごす羽目になりそうだ。
雲取山は私は4度目。
最初は1983年11月で、奥多摩駅から石尾根を登って雲取山避難小屋で泊まり、長沢背陵を天目山まで歩き日原に1泊2日で降りている。32歳で一番減量していた頃で体力と歩行の速さは抜群であった。
2度目は、1986年5月で鴨沢から七ツ石山をとおって雲取山に登り、奥秩父縦走路を飛龍山、笠取山、雁坂嶺まで行き雁坂峠から新地平に降りている。2泊3日。この時はテント場でない飛龍山の手前の北天ノタルでテントを張り、2泊目は今は無くなっている雁峠小屋となっている。
3度目が1988年1月で、丹波から飛龍山を経由して雲取山に登り、三峰神社まで。1泊2日だが、この時もテント場ではない飛龍山の手前の飛龍権現でテントを張っている。この時は寒かったことをよく覚えている。雪が結構積もっていた。雲取山から三峰に向かう尾根では4本爪の軽アイゼンを着けていたが、膝を超す雪があり難儀した。
いづれも体力にものをいわせた山行であった。しかしテント場ではないところでのテント泊、関係者の皆さんには申し訳ない事をしている。
また、南アルプスはもうしばらく様子をみてから決行することにした。
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雷鳴はごく短時間でおわり、突如降り出した雨も10分もしないで止んだので、多分被害は出ていないと思う。
しかし山梨県甲府市あたりに強い雨の区域があるようで、ともに東南に動いて横浜の中心部に向かっている。明日の朝まではこのような雨が繰り返すのだろうか?またこの時間から風が強まってきた。
本日はあまり作業が進まなかった。途中で頭痛が始まり、ロキソニンを服用してしばらくベッドで休息してから、点眼薬を処方してもらいに眼科へ。
帰宅後再度ボチボチを作業再開した。廃棄の書類等を50冊ほど出してから、分野別に本の占める場所を変えることにした。
しかし新書版の日本の古代史関係の本が300冊くらいある。よくもこれだけ買い込んだものだと感心している。8割は読んでいるが、何処の場所を占めるか悩みどころである。保存書籍は著者別に並べてある。歴史書については網野善彦を除けば分野としてまとめなければならない。再度かなりの量の廃棄も考えなくてはいけないかもしれない。
今年の山行の手始めは単独ではなく、妻と雲取山に行くことにした。昨年まで梅雨明け直後を狙って単独で北アルプスに行っていたが、今回は梅雨明けは夏休みに入ってしまうようだ。来週の土・日の二泊。
奥多摩駅からお祭りバス停で降りて、三条の湯-雲取山-三峰神社-三峰口というコースをたてた。先ほど「三条の湯」と三峰口の民宿に予約を入れた。しかし台風10号が怪しい動きである。最悪台風にぶつかる。その場合はキャンセルさせてもらうことを宿には伝えてある。一週間はヤキモキしながら過ごす羽目になりそうだ。
雲取山は私は4度目。
最初は1983年11月で、奥多摩駅から石尾根を登って雲取山避難小屋で泊まり、長沢背陵を天目山まで歩き日原に1泊2日で降りている。32歳で一番減量していた頃で体力と歩行の速さは抜群であった。
2度目は、1986年5月で鴨沢から七ツ石山をとおって雲取山に登り、奥秩父縦走路を飛龍山、笠取山、雁坂嶺まで行き雁坂峠から新地平に降りている。2泊3日。この時はテント場でない飛龍山の手前の北天ノタルでテントを張り、2泊目は今は無くなっている雁峠小屋となっている。
3度目が1988年1月で、丹波から飛龍山を経由して雲取山に登り、三峰神社まで。1泊2日だが、この時もテント場ではない飛龍山の手前の飛龍権現でテントを張っている。この時は寒かったことをよく覚えている。雪が結構積もっていた。雲取山から三峰に向かう尾根では4本爪の軽アイゼンを着けていたが、膝を超す雪があり難儀した。
いづれも体力にものをいわせた山行であった。しかしテント場ではないところでのテント泊、関係者の皆さんには申し訳ない事をしている。
また、南アルプスはもうしばらく様子をみてから決行することにした。
