Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

42年前の写真

2014年07月24日 23時15分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は神奈川大学の市民向け講座「アジアの視点 その5」の最終回。最終回の講師の齋藤勁法政大学客員教授と講座終了後に受講生3名とともにビールを飲みに出かけた。講座の講師をしていただいた小沼通二氏と郷田正萬氏も同席された。講師3名のお話を直に聞くことができたのはとてもありがたかった。遅くまでお付き合いをいただき感謝である。
 後期も「アジアの視点 その6」として内容豊かな講座が開催されることを切に願いたい。

 帰宅するためにみなとみらいから歩いていると途中から、雷光が光り出した。携帯電話には「横浜市豪雨情報」が続いて着信した。
 雷光と雷鳴の差から距離をはかりつつ、いつでも周囲の店に駆け込むことができるように用心しながら歩き続けた。雷は幸いにも光は鮮明だが距離は5キロ以上なので磯子足で歩き続けた。家から10分ほどの所で大粒の雨が降り出し、雷の距離も3キロ程になった。歩行から小走りに変えてようやく自宅に無事たどり着いた。
しかし家についてからどんどん雷の距離は遠くなるようで30分後には雨も上がった。特に被害らしい被害が無かったのは嬉しいが、随分と冷や汗も含めて汗をかかせてもらった。

 さて24年前の手紙を紹介したが、実は同時に42年前の写真も数十枚出てきた。昨年の大学の同窓会の時にみんなにコピーして渡せばよかったのだが、その時はこの写真の存在をすっかり忘れてしまっていた。
 この写真は、東北大学の学費値上げ反対運動の時に、大学側がひそかに建物の陰から、あるいは教授室に隠れて、あるいは動員された機動隊の後ろから撮りためていたものである。宮城県警に渡そうとしていた写真らしい。封鎖の当時の写真や、期末試験ボイコットの大きな騒動の時の、政治に無関心であっても試験をボイコットした学生の顔写真が克明に写っている。
 大学を除籍処分された仲間の裁判にかかわっていた私に、当時の教授の部屋に抗議に行った学生が見つけて持ってきた写真である。この写真を見て、私は本当に大学というものに幻滅した。

 ここまで運動が高揚し、学生と大学当局の関係がこじれてしまって大きな騒動になった背景は、学生との対話を一貫して拒否してきた大学当局にも大きな責任があると今でも私は確信している。
 私はその後労働運動にずっと携わってきたが、事態がこじれればこじれるほど、労使の腹をわった話し合いが必要になる。当局にすれば組合という組織だけでなく、職場の雰囲気や感情を職制をとおして探る必要がある。それに耐えられる運動を構築できるかどうか、組合運動の執行部の力量が問われる。当局に足元をすくわれるような方針しか出せないなら、執行部の責任である。切り崩しに負けるような方針を出すこと自体が労働側の敗北である。
 1972年当時の東北大学側は学生自治会や学費値上げ阻止共闘の代表者との話し合いは1度だけは対応したが、とおり一遍の受け答えをしただけで、その後は何の働きかけもしてこなかった。学生側からの話し合い申し出もまったく無視した。そして代表者の頭ごなしに各クラスの自治委員に声を掛けてくることもないし、「裏の切り崩し」すらまったく何もしてこなかった。どんな場合でも「民主主義の基本は話し合い」といっていた人たちの振舞いとしてはとても信じられないものであった、と今でも思っている。
 少なくとも今の私が大学側の当事者ならば、あらゆる伝手を求めて学生との接点を追求したと思う。当然学生自治会や阻止共闘の代表者は「切り崩し反対」というかもしれないが、少なくとも事態をあそこまでこじらせた責任は大学当局が一身に背負わなければならないはずである。
 労使協議のこじれに伴う事態の責任は使用者側が第一義に負うのと同じだと思う。社会のルールを学生に訓示する前に「話し合い」の大切さを身をもって示すのが、本来の教授会の姿勢であるべきであったと私は思う。もしそのような手続きや努力が目に見えていれば、はっきりいって私を含めた当時の学生自治会や阻止共闘の活動家集団の方が学生から孤立していた可能性は十分にあった。
 この写真は裁判の過程で裁判所に提出するかどうかも弁護士を交えていろいろ議論した。結局提出することもなくそのまま私の荷物の中にうずもれて今日まで来た。
 写っている学生の中に私の所属した理学部の同学年の仲間が何人も写っている。大学をかろうじて卒業した者も、大学を去っていった者もいる。あらゆる人生の起点がここに写っているような気がする。
 不思議なことに私は写っていない。いつもデモの先頭や大学側の作った逆バリケードの前に陣取っていたが、「悲しい」ことに写してもらっていなかった。それほどの大物には見られていなかったのかもしれない。もう1人、いつも私と行動を共にしていた同じクラスの友人も写っていない。今思えば残念である。写っていたならば娘に「誇りをもって」見せていたのだが‥。




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神奈川大学生涯学習講座「アジアの視点 その5」最終回

2014年07月24日 11時32分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 子供会の活動の一環としての資源回収日。紙・雑誌類の中に昨日までまとめた本を出した。先ほど回収してくれて玄関にうずたかく積もっていた束ねた本が無くなり、すっきりとした。後は棚に分野別に入れ直すだけとなった。半分はすでに整理済みなのであと2~3日ゆっくり片付けようと思う。ここまでくれば楽しみながら作業ができる。読んでいなかった本なども再度チェックするのも楽しみである。

 本日の講座は「アジアの視点 その5」の最終回。講師は齋藤勁前内閣官房副長官・法政大学大学院客員教授。というといかめしいが、実は私の属していた組合の出身議員である。参議院から衆議院に鞍替えして内閣入り。議員を引退して後も沖縄・アメリカに精力的に出向いて活動している。
 市民向け講座も夏休みの様相。前期の講座がほぼ終了し、8月に入ればもう後期の講座の案内が来る時期である。8月・9月は片手で数えるほどしか講座がない。少しさびしいような感じである。

 この「アジアの視点」の連続講座はなかなか思白い企画である。副題は「激動するアジアの現状を分析する」。神奈川大学の講座の案内パンフレットでも最初に記載されている。毎回違う7人の講師による講演であるが、できれば最後に7人の講師によるパネルディスカッションでもあれば面白いと思う。講座の内容をまとめたり、企画者の思いなどと今後の課題などの整理を公開してもらえることを願っている。




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