Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

虫刺されの跡の痒み

2014年07月30日 23時51分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日夕方ウォーキングから帰ってきたら、雲取山でアブか何かに刺された跡がとても痒くなってきた。妻は帰ってきた翌日皮膚科で塗り薬をもらってきた。それを私もつけたのだが、すぐには治らない。
 妻は小さいものも合わせて30か所ほどもある。それもかなり大きいものがいくつもある。私もよく数えたら小さいものも含めて10か所くらい。妻ほどにはひどくない。それでも3か所ほどが固く赤くなっている。シャワーを浴びていたらいっそう痒みが増してきた。掻き毟りたい衝動に襲われた。慌てて石鹸でこすったあと、冷たい水で冷やしてから薬を塗ったら15分ほどでようやく痒みと腫れは治まった。
 妻のはかなり鮮やかな赤で広がっていたが、少しずつ色があせ始めている。痒みはかなり薄らいでいるとのことである。私のは傷口が固く締まっている。同じ虫に刺されても微妙に症状には違いがある。体質による違いなのであろう。

 明日でもう7月も終わり。8月は講座もほとんどないが、スケジュールが点在していて、二回目の登山の予定がなかなかたてられない。9月早々に南アルプスに行きたいという願望だけは先行している。いや、地図も購入済みであるが、はたして行けるだろうか。

 ブログに記載して、行くぞ、と決意を公表しているにもかかわらず、実際には行かなかったらみっともない。

ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」

2014年07月30日 16時30分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 暑いので、ウォーキングは夕方までお預けにして、ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」作品15を聴いている。ピアノはクリスティアン・ツィンマーマン、レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。1983年の録音となっている。しかしちょっと音が籠っているような感じの録音で、あまり音質が良くない。ピアノの音はそれなりに聞こえてくるが、オーケストラの音があまり聞こえてこない。「伸び」がない。初期のCDなのでデジタル化もアナログのテープからの編集なのかもしれないと思う。1983年といえばすでに音源はデジタル録音だったと思うが‥。

 さてこの曲、ブラームスの1856年23歳の時の作品である。シューマンがこの年に亡くなっている。第2楽章はそれゆえに当初はミサのための曲(ベネディクトゥス:祝福があるようにの意) の1節が添えられていたという。
 このCDは何回かはすでに聴いているのだが、第1楽章と第3楽章しか印象にない。今回あらためてじっくりと第2楽章を聞いてみた。ファゴットやクラリネットと絡んで進行していくピアノがまるでピアノ独奏曲のようにも聴こえる。これは録音の所為ではなく曲そのものの特質である。
 第2楽章は静かな瞑想のような曲、ミサの時の祈りの曲である。それも死者を想い、思いやるような曲である。第1楽章・第3楽章の厚みのあるオーケストレーションとは随分違う。いつもこのふたつの楽章に挟まれて聞くので、印象に残っていないのかもしれない。普通は静かな曲に敏感に反応するのが私の脳の特徴なのだが‥。確かに美しい曲である。今後はこのことを頭にしっかり埋め込んでおこう。
 そしてこの曲が初演当時は不評だったことの理由かもしれない。当時も今も、協奏曲には高度な演奏技術を難なくこなしてバリバリと弾くタイプの曲想が求められていた。しかしブラームスは音の厚みと深みをオーケストレーションに求め、過剰な名人芸を目立たせるよりもブラームスの追い求める音の世界に没頭していたのだろうと推察している。
 クララ・シューマンのアドバイスもあり、技巧的にはかなり難しい見映えのする個所もあるそうだが、当時「ピアノ伴奏付交響曲」との批判があったという。壮大な構築物を覗き見るような第1楽章、心地よいテンポで疾走する管弦楽としての第3楽章についてはそのような言い方はできるのかもしれない。ただしそれはピアノがオーケストラを圧倒して強い自己主張を繰り返すのが正しいとすればであるが。
 風潮には染まらないブラームスらしい曲といえばいいのだろうか。解説をいろいろ見るとオーケストレーションには楽器間のアンバランスなど、まだ未熟なところが垣間見える、とも記されている。セレナードに続く管弦楽2作目ならば致し方の無いところかもしれない。それでも近年は随分評価されているとのことでもある。
 できれば他の演奏家のものを聞いてみたいと思っている。