本日は渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムまで「デュフィ展-絵筆が奏でる 色彩のメロディー」を見に行った。
横浜駅のチケットショップで1500円のところ1000円でチケットを購入。当初妻はいくつもりはなかったようだが、行くと言い出し二人で訪れた。
2009年に三鷹市美術ギャラリーで開催された「ラウル・デュフィ展」の解説、ウィキペディアの解説、Bunkamuraのページの解説その他の情報を打ち出し、電車の中で読みながら会場についた。
その中で「デュフィが自分のものとして確立した画法は、豊かな色彩をベースに、明確な線によって輪郭を強調する方法。それまでの画家は、鉛筆などによるデッサンの上に絵の具を重ね、下図の線が見えないように仕上げていました。‥デュフィは、それとは逆に‥最初に絵の具で色をおき、その上からラインによる輪郭を加えるという方法です。この結果、絵は軽妙な印象を与えるようになり、繊細な感覚を演出‥」(アリチアートアカデミーより)というのが、目についた。
会場は
第1章 1900-1910年代 造形的革新のただなかで
第2章 木版画とテキスタイル・デザイン
第3章 1920-1930年代 様式の確立から装飾壁画の制作へ
第4章 1940-1950年代 評価の確立と画業の集大成
といつつの部屋に分かれている。
第1章でビックリしたのは、実に様々な画家の様式、技法を模倣しながら独自の技法の獲得に向けた試行が手に取るようにわかった気がする。ゴッホ、セザンヌ、ブラック、マティスの絵と間違えるようなタッチに驚いた。実に丁寧に、そして忠実に先行者の画面を模倣している。画家の模索がわかるような展示である。
しかし「サン=タドレスの浜辺」など1906年という初期ながらデュフィらしい作品もあった。自分の描きたい手法、配色など独自性は持っていても、それをそのまま世に問うことができないもどかしさ、ひょっとしたら気恥ずかしさを味わっていた時期かもしれない。
第2章は木版画やテキスタイルデザインのコーナーでは、画家が自分の技法を確立する大事な時期である。このなかでアポリネールの詩集「動物詩集あるいはオルフェウスとそのお供たち」に基づく版画は私の好みではあった。
特にこの木版画はいづれも黒地と白地の割合が相半ばするように十二分に計算されていた。後の絵画からは想像もできないほど、細かいところまで気を使いながら精密機械のように緻密な作風だったと思われる。
次の第3章からはいかにもデュフィらしい絵画が並んでいるという解説である。私はこのコーナーでは「カルタジローネ」という作品に惹かれた。ブラマンクを思わせるような厚塗りなのだが、明るい白が基調となっている。リズム感漂う街並みの整然とした配列は画家の目の付け所が何処かよくわかるような気がした。整然とした街並みを画家独自の視点で再構成する試みはこれ以降の絵画すべてに当てはまるような気がした。
また「ヴェネツィアのサン・マルコ広場」という作品も惹かれた。私が訪れた場所だから心に残ったというだけではなく、群がる鳩の造形が不思議な感じであると同時にターナーが描いたヴェネツィアのように画家独自の太陽光の把握が美しいと感じた。ともにカードは無かった。
「アンフィトリテ(海の女神)」はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を下敷きにしているのはすぐに理解したが、現代らしく実にさまざまな要素がちりばめられている。古賀春江などの絵に影響を与えたのかもしれない。
最後の第4章のコーナーではフレスコ画の「花束」が私はとても気に入った。緑が圧倒的な花瓶を描いた静物画であるが、存在感のある花瓶である。葉の勢いが伝わってきた。しかしいつものように私の気に入った作品はカードにはまずならない。カタログは高価なのでこの作品のカードも是非欲しかった。作品は宇都宮美術館所蔵らしい。こんど見に行く機会を設けたいものである。ひょっとしたらカードがあるかもしれないという期待を持って‥。
ひうひとつ「オーケストラ」(1940)という作品が目を惹いた。音楽はデュフィという画家には重要なモティーフである。モーツアルト、ドビュッシー、バッハなどなどが影響している。わたしはドビュッシーの音楽がデュフィと切り離せない関係にあると思う。この絵を見てわたしは三岸好太郎の「オーケストラ」という一連の絵を思い浮かべたのだが、関係はあるのだろうか。三岸好太郎はフォービズムの影響を受けているが、1934年には亡くなっている。そしてこの作品は1940年なので直接の関係は無いようにも思えるが‥。
さてデュフィの作品、NHKの日曜美術館では青が重要な色であるといっていた。確かに青系統の色は面白い。にろしろなニュアンス、豊かなグラデーションである。しかし私には殊に朱色が重要な色合いであると思えた。青を基調とした中にある朱、あるいは朱に近い赤が前面にせり出すように迫ってくる。効果的な使い方だと感じた。
しかしデュフィはどことなく私には違和感がある。私などは物心ついた頃から社会や政治や周囲に対する違和感、疎外感がとても強い。デュフィという画家はそのような気配をまったく感じない。感じさせないように描いたという評価もあるかもしれないが、「電気の精」などという作品は私には不思議な世界である。
私は文学にしろ絵画にしろ芸術というもののは、そのような違和感・疎外感、あるいは自分が周囲と融け合うことに強烈なエネルギーを割かないといけないという意識が、創作の源泉だと思っている。それが対象の本質に迫る力のような気がする。
デュフィにはそのような意識が作品からは感じられない。リューマチと云われる難病を克服しながら描いたという。それはマティスの晩年もそのような状況であったが、デュフィは社会や政治や周囲に実に親和的である。
自分の周囲、政治や社会との親和性というのが創作のエネルギーとなるという地平、もう少し私なりに考えなくてはいけないのかもしれない。
少なくとも20代、30代の私ならこの展覧会は見に行かなかった可能性が大きい。今だからそういう創作のあり方もあるのかな、という程度には鑑賞できるようになったと思う。我ながら「成長した」というのか、「毒がなくなった」というのがいいのか、それは皆目わからないが、違和感があることだけは意識的に引きずってみたい。
さらに「装飾的」であるということ。これは芸術性が希薄であるということと同一視される。私はこれは違うと思うが、では職人と芸術家の線引きはどこにあるのか、と問われれば途端にわからなくなる。わからないことばかりである。
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