Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

生活パターンの変遷

2017年10月01日 22時56分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 墓参りは来月4日に決まった。これで来週の予定は出そろった。第3週までほとんど毎日予定が入ってしまった。退職後5年半、現役時代から別の生活パターンが出来上がっている。そのパターンは結構変化に富んでいる。
 退職後はしばらくは山や旅行に日程を取られた。半年後からはそれに美術館通いと講座と退職者会の日程が加わった。4年半たってから講座の数を減らしてホッとした。また山に出かけようとして団地の管理組合の会議が入り込んでしまったので、出かけられなくなった。あと1年7カ月はこれが続く。
 定年を迎えて自分の時間というのはなかなか取れないものだと諦めかけている。もっとも退職者会の業務はどちらかというと生きがいに近いし、自分の40年来の行動パターン・思考パターンが継続しているので、逆にありがたいと考えている。
 収入にならなくとも、働き場所があるというのはありがたいことなのであろう。

 さて明日はその退職者会の役員会。退職者会のホームページは夏休みのように更新がおろそかになっているので、明日から少しずつ再開しなくてはいけない。明日からはまず掲載する記事の選択から始める予定。

今年の沖縄旅行

2017年10月01日 19時31分28秒 | 山行・旅行・散策
 来月9日から12日までの沖縄旅行の細目をもらった。計画を練ってくれた方には感謝。3泊4日である。これ以上長い旅は60代後半以降が10人の旅では限界であろう。体力だけではなく、男10人では和を保つのもあまり長いのも無理がある。
 今年の旅行では初めて慶良間諸島の渡嘉敷島を訪れ、白玉之塔、フルノチビ自決碑、伊江村民収容記念碑、戦跡碑、特攻艇秘蔵壕などを訪れる。
 沖縄旅行の資料がA4で14ページもある。政治政府による「琉球処分」、そして1945年の「沖縄戦」の資料である。すでに知っていること、教わったことであっても、資料や解説を読むたびに新たなことや、忘れていたことが散りばめられている。

 学ぶということは、初心にもどって謙虚に耳を傾けるということだと思う。「これは知っている」「それは違う」ということばが先に出てしまうと、人間の思考はストップしてしまう。柔軟性を維持して、あらたな世界を垣間見ることを楽しことにすると、世界はどんどん広がる。


「歳時記」(吉野弘詩集「四季」から)

2017年10月01日 17時26分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 吉野弘詩集(ハルキ文庫)を読んでいたら次の詩が目についた。

  歳時記

秋風に歩いて逃げる蛍かな
--小林一茶、五十一歳、病臥中の作

翅があるのだから飛んで逃げればよかろうに
そうか、もう秋も大分更けている
歩いていると見たのは
飛べずに走っている速さだったか

人間が使う秋の季語に
「虫老ゆ」「虫衰う」があり
「人老ゆ」「人衰う」は
俺が存じあげている少し風流な神の歳時記にある

開かれた歳時記
「人衰ゆ」の作例が幾つか並ぶ文字の上を
秋の蛍の足取りで逃げる俺がいて
チラとご覧の神は句作に腐心していらっしゃる


 一茶の句は蛍に一茶自身が投影されている。この年、強引ともいえる遺産相続で父の財産を手にし郷里に帰ったが、おそらく周囲の目は厳しかったのであろう。秋風は病だけでなく、このような状況も投影されているかもしれない。「これがまあつひの栖か雪五尺」この直前の句か。この住んだ家、遺産を争った義母・義弟の家をふたつに仕切って一方を自分の住み場所としている。
 このような句を引用した詩、使われていることばはやさしいが、「衰える」「老いる」イメージには弱いという一般的なイメージではなく、老いた人間の芯の強さ、頑固さ、周囲になんといわれようと我をととおす狷介固陋・ずるがしこさまでも含んでいるとすると、これはなかなかすごい詩である。
 神はそんな人間もまた許容している。あるいは好きにさせているのだ。
 吉野弘は他の詩では、みずからを「私」と表現するが、この詩では唐突に「俺」と表記される。「私」ではなく「俺」ということで、一筋縄ではいかない、きれいごとでは済ませない「私」を表現したのではないか、と勘繰ってみた。それが最後の「腐心していらっしゃる」という敬語表現に至って、ふと笑いを誘う。そんな仕掛けがしてある、というのは穿ち過ぎだろうか。