Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

冬の空の星座

2017年10月25日 22時50分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨はあがったようだ。空には星も見えている。ベランダから東の空に牡牛座のアルデバランとVの字、御者座のカペラがかろうじて見えた。もうすぐオリオン座と双子座がのぼって来るのであろう。楽しみである。
 「冬の大三角」(大犬座シリウス、子犬座プロキオン、オリオン座ベテルギウス)、あるいはこの冬の大三角を内包する「冬のダイヤモンド」(大犬座シリウス、子犬座プロキオン、双子座ポルックス、御者座カペラ、牡牛座アルデバラン、オリオン座リゲル)が美しく輝く季節になってきた。
 これに双子座のカストルを含めた8つの星、それにオリオン座の星々を加えると、それだけで星空を眺めるのが楽しくなる。
 北の空にはカシオペア座があがっているはずだ。北斗七星が見えるかもしれない。

 多分西の空ではもう夏の大三角(白鳥座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイル)がもう沈みかけているはずだ。ただしウォーキングに行く尾根道からは見えにくい方向である。


 夜の散歩の楽しみが増えた。これから30分ほど歩いてみようかと思っている。

今更ながらWiFiの勉強

2017年10月25日 20時39分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 15時過ぎに雨が上がったので、いつものコースで横浜駅まで歩いた。空は一面分厚い雲で覆われていた。
 書店でWiFiの説明書を880円で購入して、喫茶店で一応読んでみた。退職者会のパソコン、WiFi接続で利用しようかと思い、まずはWiFiの基本的なところから調べることにした。一応理解はできたと思うが、実際につなげてみないとわからない。利用料のこともあり、まだまだ先のことになりそうである。

 横浜駅では雨が降っていなかったので、帰りも歩き始めた。しかし5分ほど歩いたところで雨が降り始め、家に突くころにはすっかり本降り。傘は持って行ったものの、かなり濡れてしまった。そして冷たい雨に体が冷えてしまい、ストーブに点火。大分温まった。


「詩集 死の淵より」(高見順)から 続き

2017年10月25日 11時13分57秒 | 読書
  突堤の流血
突堤の
しぶきの白くあがる尖端の
灰色のコンクリートにこびりついた
アミーバ状の血

寄せてはくだける波も
それがいくら努力しても
そこを洗うことはできない
そこに流された血は
そこでなまぐさく乾かされる
波にかこまれながら
ゆっくりと乾かされねばならぬ


  渇水期

水のない河床へ降りて行こう
水で洗ってもよごれの落ちない
この悲しみを捨てに行こう
水が涸れて乾ききった石の間に
何か赤いものが見える
花ではない もっと激烈なものだが
すごく澄んで清らなな色だ
手あかのついた悲しみを
あすこに捨ててこよう



 多分「血」「赤いもの」に象徴されるのは、戦前の政治体験、そして最終的には投獄・拷問体験なのであろう。その浄化には長い時間がかかる。個人のなかでも、そして時代そのものがそれらを浄化するにはさらに個人のなかでの浄化よりも時間がかかる。残念ながら戦後の日本はそれらを浄化・昇華する前にふたたび「国家」の論理が社会を覆ってきた。戦前と同じ「論理ならざる論理」で復活させようとするアナクロニズムに対抗できていない。こんなことが世界に先駆けている。
 いつの時代にも、「力」あるものの露払いをしたがる人間や提灯持ちが横行し始める。倫理が後退していく。戦前がそのまま甦るのではなく、「力」あるものの露払いをしたがる人間や提灯持ちという人間の普遍的な負の側面を体現する者が躍り出てくる。彼等の出現の仕方、振る舞い方がいつもの時代のようにアナクロなのである。
 「戦後民主主義」という「水」をかき分けると「戦前」のロジックが見え隠れする。それは時間というトンネルを通って「澄んで清らか」に見えるのだろうか。戦後70数年、確かに今はひどい「渇水期」なのだと思う。渇水期こそ、見ようとしないといけない。「手あかのついて悲しみ」をそこに捨てないと増水期には水は濁ってしまう。何が手あかなのか、このことすら判らなくなってしまう。