Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

弔辞を作ってみた

2017年10月27日 23時15分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 弔辞と葬儀店に送る供花の連名の一覧表と住所録が出来上がった。これから退職者会ニュースの原稿作りを1時間ほどしてから就寝。明日は11時前に家を出る。1時間ほどの作業ができるだろうか。時間が惜しいという感覚を思い出してきた。
 弔辞というのは別に参列者の前で朗読しなくてもいい。大事な個人の思い出を、今の時点で整理をして、遺族に渡すだけで、どこか一区切りをつけることができるように思える。私にとっては大事な営為である。以前に吉崎雄一さんの急逝のときも弔辞をつくりご遺族に渡した。近しい人の死の度に丁寧に作りたいと思う。

30日までは全力疾走‥

2017年10月27日 21時30分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 退職者会ニュースは7割方出来上がった。一面のトップ記事がまだ手元に届かない。今晩と明日の午前中に小さな手直しも含めて8割方まで終わらせておきたい。日曜日午前中で最終仕上げになれば何とか印刷所に送信できる。
 夕方からは集会があり、井出英策慶応大学教授の講演を聞いてきた。しかしニュースの作成作業と葬儀のための準備があるので、40分ほど聞いて退席させてもらった。明日の午後から友人が代表を務めているという「比較文明学会」に参加する約束をしたので、東海大学の代々木校舎まで行くことになっている。その電車の中で本日の資料を再度読み込むことにした。
 これから若干の作業のあと、昨日できなかった夜のウォーキングでもして頭の切り替えをしたい。

電報は死語のよう

2017年10月27日 11時31分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩連絡できなかった幾人かに友人の訃報を電話とメールで伝えた。住所しかわからない友人に速達とレタックスを送付。
 郵便局で「今でも電報というのはあるの」と聞いたら若い局員が目を白黒、隣の職員が「レタックス」というものがあります、と答えてくれた。電報というのは学生時代に2回ほど打ったことがある。それ以来電報なるものにはご無沙汰である。
 592円で字数はかなりかけそうだが、つい電報のような文章になってしまった。必要なことだけを箇条書きし、「電話を乞う」と書いて終了。連絡をくれるとありがたい。

 しかし友人たちに連絡をしていて、つくづくといい友達を学生時代に持つことができた、と思った。学生時代というのは、どれだけいい友人をつくるか、長く付き合える友人と出会えるか、にかかっていると思う。友人とは待っていても得ることはできない。さまざまな出会いの中から、濃密な関係を築き上げていく過程で得られる宝物である。能動的に動いて初めてできるものである。私の学生時代に唯一得たものがこの友人たちである。「学問」も「単位」も「資格」も価値ではないということも学んだ。
 この出会いを作り上げた体験が、卒業後の職場での振舞いの大きな糧となった。人生の最大の収穫だと思っている。

ようやく一段落

2017年10月27日 01時41分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 23時過ぎにようやく友人の亡くなったことの連絡を終えた。亡くなったことは電話、葬儀の日取りや場所は間違いの無いようにファックスで。皆あまりのことにことばを失う。

 連絡の取れない友人もおり、明日朝一番で速達を投函しなくてはいけない。花輪の手配などまだ若干のことも残っている。葬儀は29日と30日。
 私がつくっている退職者会のニュースの原稿も30日までに印刷所に送信しなくてはいけない。ということで明日中にニュースは仕上げてしまわないといけなくなった。

 重なるときはいろいろなことが重なる。悲鳴をあげているわけにはいかない。