Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中秋の名月は4日

2017年10月02日 22時07分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今年の中秋の名月は10月4日。ただし満月は2日後の6日。これは太陰太陽暦では満月と15夜にずれが生ずるのでやむを得ないところ。詳しくはこちらの記事が参考になる。【→こよみのページ
 俳句の季語では名月といえば、旧暦8月15日の月のことを指す。良夜は月を愛でる8月15日の夜のことを指す。

名月や故郷遠き影法師       夏目漱石
★名月や門の欅も武蔵ぶり      石田波郷
★満月やたたかふ猫はのびあがり   加藤楸邨


 加藤楸邨の句を1967(昭和四十二)年の句であるが、猫と月の組み合わせでこんな詩があった。満月ではなく「みかづき」であるが、猫と月と関係は名月を愛でる感覚とはだいぶ離れている。

  猫        萩原朔太郎

まつくろけの猫が二疋
なやましいよるの屋根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『あわああ、ここの家の主人は病気です』


 この詩をおさめる「月に吠える」は、1916(大正六)年の刊行である。
 この詩をはじめて知ったのは中学一年生の国語の時間。有名な「竹」とともに謄写印刷のざら紙で配布されたと思う。

 竹

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。


(以下略)

 この詩に出てくる「繊毛」という初めて目にする漢字と語句が大変印象的だった。
 室生犀星と萩原朔太郎とで創刊した詩誌「感情」には版画家の恩地孝四郎も加わっていた、ということを最近になって知った。



会議が続く

2017年10月02日 20時58分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の会議の結果、さらに6日午後も会議と作業が行われることとなった。なかなか忙しくなってきた。政治家というのは、特に国会議員を中心に、本当に実務に疎い人たちの集まりだな、と思う。

 会議終了後5人ほどで軽く飲んで、約8千歩を歩いて帰ってきた。横浜駅の手前で霧雨模様になり、やむなくバスに乗車。本日は1万6千歩で終了。
 今は時間雨量換算で5ミリ程度の雨が続いている。予報よりは少し早めの雨となった。


「冬の鳩に」(吉野弘詩集「四季」から)

2017年10月02日 10時06分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 吉野弘詩集(ハルキ文庫)から眼についた詩。詩集「四季」の「冬」におさめられている。

  冬の鳩に

雪の上を歩く君たちの足が
塗り箸のように赤い
素足は冷たくありませんか?
食べ物に不自由していませんか?

「天餌(てんじ)足りて胸つくろひぬ寒雀」
と詠んだのは俳人中村草田男さんですが
「天餌」は君たちのためにも
足りるといいね。

小競り合いしている鳩君
争いごとですか、おふざけですか?
そうそう、そう言えば
君たちの中にも「鷹派」って、いますか?


 どちらかというと何の変哲もない詩のようで、言葉は平易で、そして意味も取りやすい。たぶん20年も前のわたしならば、読み飛ばしてそれで忘れてしまう詩のような気がする。
 私はどうもこのような詩は好きではなかった。このような詩にも惹かれるようになったのはいつ頃だろうか。
 たぶん第3連目は少し甘すぎるのではないか?などと20年前などは言ったかもしれない。今でも心の奥底でそんな声も出ている。ただし20年前ならば第3連全体に?マークをつけたと思う。今は、最後の行に、それも「鷹派」という語彙に?マークをつけながら、いろいろと考えている。
 職場や地域やのどんな場合でも客観的に人の集団を見て、そしてかかわる立場から人の組織を冷静に見るようになった。人の社会を動物の集団のことのようになぞらえたりすることはよくある。確かに似たようなこともあるし、単なる人間の思い込みで見ていることもあるだろう。それを分析する冷静さと、比較の深入りを避ける思いとが歳と共に備わってきたのだろうか。私が「鷹派」ということばの使い方への違和と照れとの入り混じった感情を、それが抑えてくれる。
 しかしこの「鷹派」とはどんな想いで使ったのだろうか。詩集全体に目をとおしてもよく分からない。