Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

なるせ美術館

2017年10月20日 23時51分11秒 | 山行・旅行・散策
 明日午前中には何とか明日の夜の会議の資料は出来上がりそうである。というか出来上がらなくてはならない。本日は成瀬美術館まで行ったのが原因で間に合わなくなったのではまずい。
 本日雨があがったので行ってきたが、開催日が22日までなので、本日を除くと明後日22日しか行く日が無かった。強い風雨の中成瀬まで行くのはしんどい。
 成瀬駅、初めて下車した。駅前の大きな高いマンションとその背後に戸建ての住宅街が拡がるベッドタウン。静かで落ち着いた雰囲気であった。
 横浜市緑区に接しているが、自由民権運動の盛んであった東京都町田市である。美術館といっても一軒家のような小さな美術館である。喫茶店でもせ併設されていれば、気持ちのいい時間が過ごせそうな場所にあった。

   

井上雅之展「光の貌」

2017年10月20日 23時18分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は新月。といっても星も月もまったく無縁の厚い雲に覆われている。台風の影響もあり、太陽が顔を出すのは、週間予報によれば24日(火)までまだなければならない。

   


 午後雨が上がったので横浜線の成瀬駅(町田市)の「成瀬美術館」に出向いた。先週このブログで紹介した「井上雅之展『光の貌』」を見てきた。
 これまで独特の紫が気に入っていた。深い紫の色調にちょっと添えられた黄色が光の乱反射のシンボルのようで、惹かれていた。それに加えて、昨年から青緑色を背景とした明るい作品が見られるようになった。この色もまたじっと見ていると吸い込まれるような気がする。見ていると紫とは違った意味で、心の中に入り込んでいく。そして楕円のかたちをした黄色とやはり乱反射のシンボルのように添えられた黄色が、強過ぎず、弱すぎずにおさまっている。
 気分的には展示室の真ん中に心地よいソファが欲しくなる。そこで寝入ってしまいたい誘惑に駆られた。

野分

2017年10月20日 11時01分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 野分とは「秋の暴風」のことで野の草を吹き分ける意。現在では台風のことと混同しているようだが、本来は二百十日前後(9月1日あたり)に襲来するものをいうらしい。今ではその時期的な峻別がおろそかになっているようだ。

★野分の馬打つて馬よりかなしきらし     加藤楸邨

 この句、1948(昭和二十三)年から1952(昭和二十七)年までの句をおさめた「山脈(やまなみ)」収録されている句。多分1952年の句と思われる。前後には「路地の奥の海を過ぎたる冬の帆よ」「蓑虫の首ふるまつたく世は寒し」「マンホールの底より声す秋の暮」が並んでいる。
 この年は寒い秋であったのだろうか。あるいは作者の心象がことのほか寒さを感じさせたのであろうか。戦後も続く貧しい生活と身に染みる寒さが二重露光の写真のように重なって、イメージをつくる。打たれる馬は哀れであるが、身内のような馬を打つ悲しみが写真の印画紙に滲み出てくる。「らし」という推量は、「悲しいと思っていると思う」という願望も匂ってくる。むやみに馬を打ってほしくないという思いにつながる。
 かといってこの句が過酷な労働に対する「告発」の句かというとそのようなものでもないと思う。「らし」によって淡々とした作者の観察眼が窺える。