Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は朝が早い

2017年10月18日 22時41分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は朝が早い。6時半に横浜駅集合となっている。その後、10時からみなとみらい地区で久しぶりの美術講座。「キーワードで探る名画」(講師:中村宏美)。連続5回の講座である。
 残念ながら明日は朝から雨、かなり寒いようだ。12月初めの頃の気温らしい。試験的に出してみたガスストーブが手離せなくなる気温であるようだ。
 講座終了後から土曜日の夜のに行われる団地の管理組合の会議の資料作り。

「朝鮮戦争の休戦協定を忘れて、第二次朝鮮戦争を 準備してはならない」(武者小路公秀)

2017年10月18日 21時33分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 世界平和アピール7人委員会の「今月のことば№37」より、「朝鮮戦争の休戦協定を忘れて、第二次朝鮮戦争を準備してはならない」(武者小路公秀) が本日付で発表されている。【⇒こちら

「朝鮮戦争の休戦協定を忘れて、第二次朝鮮戦争を準備してはならない」   武者小路公秀

 米国と朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮)との間では、いわゆる「弱者の恐喝」関係が成り立っている。つまり米国は、朝鮮を核攻撃すると、日韓など周辺国を巻き込むので、核は使いづらい。しかし、朝鮮は米国本土を攻撃できる能力を持てば、その能力を振り回すことができる。朝鮮は小さいゆえに、世界の強大国・米国の核戦略の手を縛っている。トランプにはこれが我慢ならない…。
 いま日本では、朝鮮に対する国連安保理の制裁決議を強化する言説ばかりが横行しているが、本当にこれでいいのだろうか。日本列島を沈没させる核の傘を前提にする安保関連法を支持し、憲法改悪の危険な政策を現実主義的だとする考え方は、本当に正しいのか。 私はここで重要なのは、日本を犠牲にすることも辞さないトランプの戦争に日本市民が引きずり込まれないようにすることだと思う。それが「犬の遠吠え」であるかどうかは別として、トランプの「遠吠え」に、日本が同調するのはもっとも危険な行為である。
 かつて朝鮮戦争は、朝鮮の金日成主席によって開始された。しかし、ソ連が中国問題で国連をボイコットしたおかげで、安保理は国連軍の派遣を決め、国連軍は米国の指揮官マッカーサーの下で組織された。当初苦戦した国連軍も優位に立ち中朝国境近くまで押し戻すと、マッカーサーは、核攻撃で一気に戦争を終らせようとした。しかし、トルーマン大統領は、核戦争が人類の滅亡を招くことを正しく恐れて、彼を解任。中国の参戦による膠着状況の中で、休戦協定が結ばれた。スイス、スエーデン、チェコスロヴァキア、ポーランドによる休戦監視委員会ができ、現在も停戦ラインと非武装地帯による休戦状態が続き、スイスとスウェーデンが監視を続けている。
 一方、国連では、米国の核戦略を国際条約にしたてあげた。つまり、米ソ両核超大国の核均衡を安定させるため、核保有国間の核兵器保持は認め、しかし非保有国が核保有国になることは認めない「核拡散防止条約」による不平等な核兵器の管理体制を作り上げた。
 ところが現状は、イスラエルのほか、インド、パキスタンが核実験に成功、朝鮮もこれに続いたことで、この核不拡散体制は崩れ始めた。逆に、この不平等条約に代わって、核兵器全面禁止条約が生まれ、核廃絶への動きが始まっている。
 しかし、今回の安保理制裁は、核拡散防止条約から脱退した朝鮮に、条約が定義する「核非保有国」としての義務を要求するもので、考えてみればおかしなことである。
 つまりこれは、朝鮮戦争休戦中の一方の当事者である国連が、その相手である朝鮮に対して行っている外交攻勢であるとの解釈が十分可能であり、休戦協定の当事者である国連は、責任を持って休戦を維持し、平和条約に進む道筋を探るべきなのである。
 まして「斬首作戦」など、正に休戦協定違反であり、これを含む米韓軍事演習も、国際法的には非合法な「軍事活動」である。朝鮮の核と飛翔体の実験も、朝鮮側は「実戦には使えない実験で軍事演習とは違う」というが、それでも休戦協定下で、合法とは言えない。
 このように、朝鮮戦争の歴史から見れば、米国との直接交渉を求めている朝鮮側の要求は、休戦中にある朝米間の講和への動きであり、正当な要求である。朝鮮は、かつて米ソ間で行われたように、相互が確実に相手を破壊できる状態の下での交渉を求めているが、「アメリカ・ファースト」の強大国・米国のトランプには、ソ連となら対等の交渉をしたいけれども、朝鮮との対等な交渉など我慢ならない。それが、いまの危機の実態だ。
 第2次朝鮮戦争が起きれば、日本は確実に被害を受ける。ここは、戦争を避けるため、米国を諫め、これ以上、緊張が高まることがないよう、努力すべきである。

秋あかね

2017年10月18日 20時22分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 沖縄で見たのは秋あかねではなかったが‥

★赤とんぼ夕暮れはまだ先のこと        星野高士
★カタカナの言葉に詰まり秋あかね       庄司 猛
★特攻碑に尾は空へ向け赤蜻蛉         菅原 涼


 1句目、山で赤とんぼの群れに遭遇することがある。山道に転がる石にも赤とんぼが止まっていて、踏みつぶしそうになり、こちらが転倒しそうになりながら避けることがある。すると飛んでいる赤とんぼが私の進む方向をずっと先導するように飛んでいく。いい加減付き合って、日陰にはいるといつの間にかいなくなる。とんぼは日かげはあまり好まないように見える。しかし水のあるところは産卵場所として盛んに飛び回っている。
 赤とんぼを見るとなんとなく夕方になったように思えて、自然に足が速くなってしまう。どうしてかな、と思っている。とんぼの人懐っこさが、人恋しくさせるのだろうか。山の独り歩きのときの赤とんぼは、独り言の相手になる。しかし遭遇するのは意外と朝であったり、お昼直後が多いようだ。まだ体が山道になれていない朝や昼休憩直後に、癒しのように現れる。不思議な生き物である。その赤い色が夕陽の色合いとどこか通底していて、それで夕方を連想してしまうのではないだろうかと思っている。
 2句目、この歳になると、たとえ短いカタカナ語であってもなかなか頭に入らない。知っていても意味がうまく言えない。そういう時に言葉に詰まる。人と話していて、言葉に詰まる時というのは、自分が使うことばの意味にふと疑問を持ってしまうときである。そして詰まるともう先にはなかなか行けずに、その言葉を飲み込むまで次のことばが出てこない。
 3句目、赤とんぼは尾を高く反って止まることがある。その先には魂魄が漂っているのだろうか。

4日連続の休肝日は終了

2017年10月18日 17時22分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日心配した片頭痛はなかった。右側のこめかみあたりに少し違和感があったが、昼前にはすっかり気にならなくなり、今も特に意識しないでいられるようになった。気分的にもすっきりした感じがする。

 本日は久しぶりに晴れて、朝のうちに柔らかい陽射しを浴びながら横浜駅まで歩いた。夕方帰る頃に雲が多くなってきた。家に帰り着くころには冷たい風が出てきた。団地ではベランダに干された洗濯物が、日も沈まないのにほとんど取り込まれていた。風が冷たいのと、曇り空で暗くなったので慌てて取り込んだと思われる。折角の晴れ間なのに、という声が聞こえてきそうであった。明日からまた天気は悪い。
 我が家でも、13、14、15日の三日間、寝汗で寝間着を何枚も取り換えたので、洗濯物がたくさん出た。本日で一応片付いたようだが、また熱が出るようならば、搦手からひとこと言われそうである。

 13日から昨日17日まで休肝日だったので、本日は夕食時に酎ハイを少しばかり飲んでみることにした。