Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「木枯し」の句

2017年10月31日 22時24分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 「木枯し」の句というと先ほどの山口誓子の句のほかに私は、次のふたつの句が好きである。

★こがらしや何に世わたる家五軒     与謝蕪村
★木がらしや目刺に残る海の色      芥川龍之介


 蕪村の句はさらに有名な「五月雨や大河を前に家二軒」(1766年)を思い出す。二軒と五軒、どう違うのか。五月雨の句の二軒ともなれば、心細さが際立つ。五軒といえばとりあえず自足した集落と思えるので、その場所ならではの生活の糧を得る何かを想像させたのだろうか。二軒よりは少し頼りがいのありそうな雰囲気がある。というのが私の想像である。
 こがらしの句といい、五月雨の句といい、数字のイメージが微妙なニュアンスを求めているように思う。「寒月や枯木の中の竹三竿」「蓮の香や水をはなるゝ茎二寸」もそうだ。単に音の数合わせではないものを感じる。
 芥川の句も有名だ。目刺にわずかに残る皮膚の青から海の青を連想するイメージの飛躍、想像力の豊かさ・自由さに私は驚いた記憶がある。目刺は春の季語ではあるが、ここでは「木がらしや」が強いので冬の句であることは間違いない。

「木枯し還るところなし」

2017年10月31日 20時14分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は木枯1号ということになった。
 木枯しの句というと
★海に出て木枯し還るところなし     山口誓子
 の句がまずは思い出させる。

 山口誓子らしい言い切った「還るところなし」が強く心に残る。伊勢湾で療養していた1944年の句。
 冬の太平洋岸の情景を詠んだ嘱目吟にみえる。吹きすさんだ木枯が、野山を通り吹き荒らしつつ太平洋に出たが、もはや帰るところがない。決して日本に戻ってくることのない木枯し。これだけでも私にはいい句に思える。
 しかし誓子は「この句を作った時、私は特攻隊の片道飛行を念頭に置いていた」と記しているという。
 誓子の思いは嘱目だけではなかった。特攻を強いられた若者が二度と家族や、日本の土地に戻ることのできないさま「帰るところなし」と言い来ることで無念、切なさが迫ってくる。
 心に刻んでおきたい句である。

「図書11月号」-2-

2017年10月31日 13時53分39秒 | 読書
 少しお疲れモード。軽い朝食後すぐに11時過ぎまで寝てしまった。

 先ほどまで、昨晩に続いて「図書11月号」を少しばかり。

・アメリカ日食を見に行く     白尾元理
 「ある皆既日食が起こった後、月の満ち欠けが223回繰り返すと再び太陽-月-地球の位置関係がほぼ同じとなって、よく日皆既日食が起こる。この周期は18年11.3日で、サロスと呼ばれる。‥サロスの周期に0.3日の半端があるために、日食の起こる軽度は120(土)ずつにしに移動する。1サロス後の次は、2035年9月2日。日本で皆既日食が起こる。」
 実に懐かしいサロス周期ということばを思い出した。中学生の時に名前は忘れたが子供向けの科学雑誌に載っていたのを読んだ記憶がある。しかしここでは触れていないことも思い出した。閏年がその間に4回となるか、5回となるかで、18年11日なのか18年10日なのかの違いがある。次回の2035年9月2日はこのことも考慮した日程なので間違いはない。
 ひとつのサロス周期は80回近く繰り返すと消滅して、他のサロス周期が始まる。この80回の食の内50回近くが皆既日食ないし金環日食になる。
 そして0.3という端数を考えるとそのサロス周期の3倍の約54年33日ではほぼ同じ場所で日食が起きることになる。これをトリプルサロス周期ないしエクセリグモス周期ともいう。これも最近聞くことはなくなった。
・プロテスタンティズムの倫理とボウリングの技巧    深井智朗
 ルターとボウリングという組み合わせが不思議である。
 「ヨーロッパに伝えられたボーリングには宗教的な意味が加えられ、ピンをサタンに見立てて、サタンの誘惑に打ち勝つために、ボールでそれを勇敢に打ち倒すという説明のもとに(修道院で)行われていた。」
 「(ルターが)宗教教育のために、また規則を守ることを通じて倫理的な教育にも利用したことで、今日のボウリングのルールが整備されることになった‥。」
 ということらしい。
・14世紀に滅びさったカタリ派の痕跡を、パリで掘り起こす    冨原眞弓