Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読書三昧だったが‥

2017年10月24日 23時26分04秒 | 読書
 本日は読書三昧だったが、あまり読み進められなかった。
 午前中は、高見順の「詩集 死の縁より」の再読、「敗戦日記」を若干。そして午後は中野京子の「怖い絵 死と乙女篇」を喫茶店で。さらに帰宅後は佐々木幹朗「中原中也-沈黙の音楽」を読み始めたが、ビールが効いて7ページほどで寝てしまった。
 久しぶりに夜のウォーキングを5千歩ほど。

 明日から退職者会ニュースの原稿作りに着手予定。

「詩集 死の淵より」(高見順)から

2017年10月24日 19時04分44秒 | 読書
  この埋立地

この埋立地はいつまでも土が固まらない
いつまでもじくじくしていて
草も生えない
生き埋めにされた海の執念を
そこにみるおもいがする
たとえ泥んこのきたなさ醜さでも
しつこい執念は見事だ
雨上がりの一段とひとに泥濘の
今朝の埋立地に足跡がついている
危険な埋立地を歩いたやつがいる
その勇ましさも見事だ
なんの執念だろうか
がぼっと穴になって残っている足跡は
まっすぐ海に向かっている
それはそのまま海のなかに消えている



 この詩で「埋立地」は昨日引用した「心の部屋」の「おれの心のなかにある」「とざされたままの部屋」であると思える。
 「いつまでも土が固まらない」のは青春のときの思い、執念そのものであろう。そこは「草も生えない」「泥濘の」不毛の地である。若い頃の思いがこのように不毛の地になってしまうというせっは詰まった体験、それは高見順の左翼体験とその敗北、そしてそれにともなう不幸な恋愛体験であったことは間違いがなさそうである。
人は引受けてしまった体験と、そこから抜け出せない重い思念を抱えて生きていく。その体験と思念にこだわればこだわるほど、「泥濘」に足を取られて抜け出せなくなる。岸には戻れない。海に向かって死の行進を歩み続けるしかないのだ。
 政治とそれにまつわる死の淵を覗いてしまった体験は、忘却を拒否すれば、本来、生涯まとわりつくものである。

高見順「敗戦日記」

2017年10月24日 11時35分56秒 | 読書
 昨日、「敗戦日記」(高見順、中公文庫)を購入した。高見順は「詩集 死の淵より」しか読んだことはない。1963年、食道ガンの手術を行ったのち8カ月に書いた詩である。1964年に出版された。しかし翌1965年、食道ガンが再発し、8月に亡くなった。
 この「死の淵より」は20代始め、就職してすぐに書店でたまたま手にとり、いたく惹かれた。職場での心が開かれない違和感を抱きつつ、この「死の淵より」の死の淵を覗いた者の暗い叫びのようなものの中に、戦前の左翼体験と投獄と拷問による死を覗いた体験を二重写しに感じ取った。


  心のけだもの

けだものよ
眠りから早くさめて
凶暴に駆けめぐれ
私の心のなかのけだものよ
おまえの猟場を駆けめぐれ
死の影の下で眠りこけている間に
たちまちそこが占領されたようだ
ほかの獣に
死となんらかかわりのない獣たち
おまえのナワ張りは荒らされてしまった


  心の部屋

一生の間
一度も開かれなかった
とざされたままの部屋が
おれの心のなかにある
今こそそれを開くときが来た
いや やはりそのままにしておこう
その部屋におれはおれを隠して来たのだ



 自分の胸の奥に、死に直面した60歳に近い年齢まで、開かずの部屋を隠し持ってきた、という執念、語り尽くせないできない体験というものにたじろいだ。20代半ばに手が届き始めたばかりの私には、果たしてこのような60歳を迎えることができるだろうか、という思いに押しつぶされそうになった。
 たぶん語り尽くしたとしても他人には理解できない何ものか、をこの転向した作家はずっと抱えて生きて来たのであろう。それ論理でもなく、感情でもなく、燠のようにくすぶり続けて、いつも作家の胸の家に「書く」ことの原動力であったのかもしれない。
 私はとうとう60代後半にもなっているが、まだ生きながらえている。

 この「敗戦日記」は多分一気読みではなく、拾い読みを続けることで味わいたい。