Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無月・雨月

2017年10月03日 23時16分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日は墓参りで1日出かけなくてはならない。明後日の退職者会の会議の資料は本日中に作らないと間に合わないので、朝からパソコンと睨めっこ。ようやくメドがついた。
 とはいってもまったく外に出ないでいてはかえって能率は悪いので、昼間と先ほどの夜のウォーキングには出かけた。併せて3時間ほど。かなりの汗をかいた。
 これから風呂に入ってから、出来上がったものを打ち出しておしまい。1時までには就寝できればありがたいが、大概は打ち出してからいくつかの間違いが見つかり、訂正に時間がかかる。画面だけではどうしても誤字・脱字、変換間違い、重複などを見つけることができない。トナー代と紙代がもったいないのだが、こればかりはどうしてもだめである。

 明日は中秋の名月で晴れそうである。ただし寒いとのこと。今晩は雲が厚く、月も星もまったく見えない。

 雨月という季語、一般にはあまりなじみはない。私も好きな季語ではない。雨が降る夜ならば雨月、雨の月などという。俳句の世界特有のことばに近く、使うのをためらう人も多いと聞く。私も同感である。俳句に親しむ人だけで通用する狭いことばの世界を作ってしまうとおもう。

★誰かゆく雨月の芝のややあをし   桂樟蹊子
★月の雨こらへ切れずに大降りに   高浜虚子

復讐か、はなむけか

2017年10月03日 11時36分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 朝からたいした用件ではないが、メールや電話連絡でちょっと慌ただしかった。今は一段落。ようやくセキセイインコの餌遣りと籠の清掃を終えた。
 いつものとおり手で水をはじいてやると、大喜びする。これはだいたいが妻と交代でかける。妻と私では水のかけ方が微妙にちがう。どちらを好んでいるのか、わかりづらいものの、水をかけられることを催促するように、止まり木の所定の場所で待っている。それが妻にはとても愛おしく見えるようだ。

 さて、吉野弘詩集から。

  妻に

生まれることも
死ぬことも
人間への何かの遠い復讐かも知れない
と嵯峨さんはしたためた

確かに
それゆえ、男と女は
その復讐が永続するための
一組みの罠というほかない

私は、しかし
妻に重さがあると知って驚いた若い日の
甘美な困惑の中を今もさ迷う

多分、と私は思う
遠い復讐とは別の起源をもつ
遠い餞(はなむけ)があったのだと、そして
女の身体に託され、男の心に重さを加える
不可思議な慈しみのようなものを
眠っている妻の傍でもて余したりする


 私も、遠い復讐なのか、遠いはなむけなのか、不可思議な慈しみの中でもがきつつ、何とか生きている。私はずっと最近まで「遠い復讐」であると思っていた。
 そう、それは過去形である。最近はそんなことも考えなくなった、と同時に「遠いはなむけ」であることも受け入れるようになった。
 果たしてどちらの方が許され、癒され、そしてスーッと消えることができるであろうか。