Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

国立歴史民俗博物館と佐倉市内のウォーキング

2017年11月10日 23時26分05秒 | 山行・旅行・散策
   

 13時過ぎから16時までかかって国立歴史民俗博物館の企画展示「1968年-無数の問いかけの噴出の時代」の2つの展示室、ならびに通常展示の6室のうち5室を見て回った。
 それぞれの展示室がとてつもなく広いので、体力と気力が必要。通常展示の6つの部屋は、
第1展示室-原始・古代、第2展示室-中世、第3展示室-近世、第4展示室-民俗、第5展示室-近代、第6展示室-現代となっているが、第1展示室-原始・古代は2019年春まで閉鎖中ということで、残念ながら見ることが出来なかった。6つの展示室では一番見たかったのだが‥。
 企画展示室のふたつの部屋と、第2と第3展示室はじっくりと見て回った。第4室以降はほとんど素通りに近かった。
 16時30分までが入館期限なので、15時50分に一回りしてレストランで一服しようとしたらもう閉店とのこと。ガッカリ。17時までの退館時間のことを考えると、せめて16時半位まではコーヒーの一杯くらいは飲ませてもらいたいものであった。少し痛くなった腰を休めるために自動販売機の前の椅子に座ったが、隙間風があってかえって腰と足に悪そうなので早々に退散。ゆっくりと歩いて京成佐倉駅まで戻った。



 京成佐倉駅近くは市役所や美術館もあるので、夕食を摂るところや居酒屋があるのではないかと探したが、あまりない。思い切ってJR佐倉駅に行ってみることにした。
 散策マップを観光協会で手に入れ、武家屋敷とおりを歩こうと思ったが、すでに暗くなりかかっており、断念。
 結局、薄暗がりのなかを京成佐倉駅-(15分)-国立歴史民俗博物館-(15分)-京成佐倉駅-(8分)-佐倉市立美術館-(12分)-鏑木交差点-(10分)-JR佐倉駅と60分ほどを歩いただけであった。
 DIC川村記念美術館も佐倉市立美術館も、体力的に時間的に到底無理であった。

 JR佐倉駅ちかくの居酒屋でハイボールと日本酒1合を飲んで総武線・横須賀線で横浜にたどり着いた。

 なお、東京駅八重洲口からDIC川村記念美術館を経由して国立歴史民俗博物館までのバス便があり、便利なようだ。しかし、鉄道を使うよりは高い。


JR佐倉駅に到着

2017年11月10日 17時37分15秒 | 山行・旅行・散策


京成佐倉駅前は居酒屋も定食屋もないので、佐倉市内見物をも兼ねるつもりでJR佐倉駅まで歩いてみた。ちょうど30分。このふたつの駅を結ぶ国道沿いには繁華街はないようす。薄暗くなった寂しい道を歩いた。
JR佐倉駅のほうがちょっと高めの割烹料理店や、地元の居酒屋が点在していた。
JR1本で帰ると高いのだが、乗り換え無しで横浜に着くという魅力がある。
居酒屋で日本酒を楽しんでいる。

国立歴史民俗博物館

2017年11月10日 16時03分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
ようやく企画展と、第2から第6までの展示室を見終わった。疲労困憊。
レストランはもう閉店。休憩もできない(~_~;)
川村記念美術館に行く気力も体力も時間も無くなった。
京成佐倉駅前は飲食店が少ないので、これからどうするか思案中。

落葉について三句

2017年11月10日 10時21分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★待人の足音遠き落葉かな       与謝蕪村
 やってくるはずの人は男か女か、そしてやってくるはずの人を待っているのも男か女か、登場する人間のことは何も語っていない。ただし、作者の名を見れば、ここは当然の如く、二人の登場人物は男女の思い人同士と思われる。蕪村ならばやはり古典の世界のいづれかを念頭に置いていると勝手読みしてしまう。しかも果たして本当に恋人の落葉を踏む音だろうか。そら耳かもしれない。あるいは他人が落葉を踏む音なのかもしれない。あるいは約束がまもれないことを誰か使いが伝えに来たのか、そんな焦燥感まで想像してしまう。
 作者名が伏せられていたら、ひょっとしたら曖昧な駄句として斥けられてしまう句だったかもしれない、そんな危うい句である。蕪村ならば、絵に添えた賛かもしれないと想像してしまう。いづれにしろ、さまざまな想像力を駆使してしまう。

★湖底まで続く落葉の径のあり     斎藤梅子
 静かな冬の日、透明な湖の底に色とりどりの落葉が沈んでいるのを見かけたのだろうか。それが連なって径のように見えた。言ってみればそれだけの景色を詠んだ句である。しかし湖面には、周囲の紅葉も終わりかけたた山々の影も湖面に写っているであろう。垂直の季節の変化が山の彩りに読み取れる。湖の冷気も読み取れる。
 あるいは、湖底に沈んだ枯葉だけでなく、湖面に浮んだ落葉のことを詠んでいる可能性もある。
 透明感溢れる明るさに惹かれる。

★落葉掃くおのれを探しゐるごとく   平井照敏
 落葉の中に自分を探す、という表現は別に具体的なものを探しているわけではない。落葉を掃くという行為が、さまざまにものを思うたいせつな時間でもある、ということを指している。もくもくと行う作業をしながら、自分を見つめることを意識する。そればかり意識していては、満足に作業は捗らないが、かといってその単純作業を遂行しながら、自分を見つめ続けることが大切である、と思うようになったのは40代も半ば過ぎであったろうか。