Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

葱と刃

2017年11月24日 22時17分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日は思いもかけず、大根でオロオロした。まだわからない句がひかかる。本日は大根ではなく、「葱(ねぎ)」の句。

★悲しみの刻は女は葱きざむ     小谷伸子
★刃渡りをそっと確かめ葱刻む    瀬戸優理子


 今、上野の森美術館で「怖い絵」展が開催されている。が上の二句もまたとても怖い。特に第2句目など、女性に家事を押し付け、のほほんとしてとしているのが当たり前と思っていたら、それこそ寝首を掻かれる。

《ホロフェルネスの首を斬るユーディット》(1620年頃の作、アルテミジア・ジェンティレスキ、ウフィツィ美術館)


 旧約聖書外典に記された物語で、アッシリアのホロフェルネスに包囲され降伏寸前に夫に死別していたユディットという女性が包囲軍に乗り込み、自らホロフェルネスを誘惑し、酔いつぶれた彼の首を剣で切断して包囲された町に持ち帰る。指揮官を失った包囲軍は撤退し、ユディットは称賛される。外で如何に武勇を誇ろうが、サラリーマンとして功績があろうが、女性の誘惑に弱いという、男社会の論理を振りかざす男は、必ず復讐される。かく記す私とて、いつ寝首を掻かれ、捨て去られるか、知れたものではない。
 第一句、私はこれは女に特有なことと断じてしまう男はついには女性の気持ちを理解できないし、同時に基本的に社会で仕事ができない人間でしかないと思う。何かの壁にぶつかり、どうしていいかわからないとき、人はただひたすら何かに打ち込もうとする。何かの代償行為のように。別に回避し、逃げ込むというのではない。自分と向き合い、そうして出口や脱出の方途を探すように黙々と何かを為し続けなければ、自分の身がもたない、というところに追い込まれた自分。このような状況をいくつか引き受けることで人は再生し、次へと歩み始めることができる。
 専業主婦であっても、家族内でひとりだけでは解決できないさまざまなことが日々生起する。真摯に向き合おうとすればするほど、自分を追い込んでしまうもこともある。葱をひたすら刻むことで、この女性は再生の過程を歩んでいるのであろう。「気分転換、そのうちケロッとして戻って来るさ」、などと言っている男は必ず復讐されるのである。
 第二句、葱を刻む行為が度重なると、刻む包丁に意識が向いていく。ここまでくるともはや危険信号。もっとも二つの俳句そのものは、関連はないので、あまり深く考えなくてもいい。しかし刃の反りなどを凝視し、指で刃の状態を探るようになると、尋常ではない世界と背中合わせである。

三日月に照らされながらウォーキング

2017年11月24日 20時08分37秒 | 山行・旅行・散策
 本日の組合の会館での作業が終了したのが、13時過ぎ。喫茶店で昼食を摂りながらボーっとしているうちに1時間ほど睡眠。その後喫茶店を変えて1時間ほどの読書タイム。といっても本ではなく、退職者会の関係資料ばかりなのであまり楽しみは無かった。
 石川町駅から横浜駅経由で家まで久しぶりに歩いて帰った。横浜駅からは通常よりもさらに遠回りをしてみた。途中から三日月に見守られるようにして歩いた。

 本日はこれから運慶展の図録を見ながら、頭の整理をしたい。

知恵の出どころ

2017年11月24日 12時58分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中の作業終了。久しぶりの肉体労働(^O^)。ビジネス用のdesk一つをエレベーターは使ったが、ひとりで階下と階上で入れ替え。段ボールを下に敷いたり、台車を使ったり、いづれも一長一短で複数を組み合わせてようやく何とかした。
 ひとりでするといろいろ工夫する。その楽しみがある。
 そういえばまだ二十代のころ、現業の先輩に言われた。大勢でやれば、重機を使えばすぐに出きるが、工夫するということを忘れてしまうと。機械を入れるだけが前向きではないこと、基本的な構えというものの大切さを教えてもらったと思う。
 なるほどと、いま頃そんなアドバイスを思い出し、いまさらながら感心した。