Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大根と蕪をようやく完食

2017年11月29日 23時59分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく25日に購入した大根と蕪をたべおわった。本日の夕食には紫大根の薄切り、そして大根葉と油揚げの煮物が出て、完食。かなりの食べでがあった。葉を有効にすべてを食べ尽くすと大根も蕪もかなりの量があることをあらためて実感。ただし蕪の葉は、大根に比べて少々硬い。柔らかくして食べる方法を考えつかないといけない。先のほうだけならば浅漬けで十分柔らかく食べることは出来たが、茎はかなり歯ごたえがある。

読了「怖い絵-死と乙女篇」(中野京子)

2017年11月29日 21時57分54秒 | 読書


 「怖い絵-死と乙女篇」(中野京子、角川文庫)を読了。全三冊の「怖い絵」シリーズを詠み終えた。  今回の「死と乙女篇」で惹かれた作品は、セガンティーニ「悪しき母たち」(1894)、アンソール「仮面に囲まれた自画像」(1899)、伝ブリューゲル「イカロスの墜落」(1500年代後半)の3作品。
 セガンティーニもアンソールも名は聴いているが、それほど作品を見ていない。今後機会があればさらに詳しく知りたい。特にアンソールはなかなか難しい画家であったようだが、この「仮面‥」が国吉康雄の描く仮面とあまりに似ているので、国吉康雄への影響について気になった。もう一度国吉康雄展の図録を読み返してみたい。
 また、ブリューゲルないしその工房の作品はいつも気になるが、解釈はとても難しい。私にとってはいつ見ても謎ばかりである。
 中野京子の文章は時代背景についていろいろの知識を得ることができ、私には嬉しい。勉強になる。



鞴(ふいご)祭り

2017年11月29日 19時57分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は三の酉、妻は横浜橋商店街の酉の市に行きたいらしい。私も久しぶりにあの雰囲気を味わいたいとは思っている。しかし天気予報は夕方から雨とのこと。

 かつて私の勤めた職場は横浜市の18の区に今でもそれぞれある。そのうちの一つの区の職場には鍛冶工場があり、とても古い伝統を持っていた。鍛冶工が配置され、毎年「鞴(ふいご)祭り」を行っていた。鞴や炉を清め、祀っていた。時代の流れで、鍛冶工という職種が廃止され、炉や鞴の設備はなくなり、溶接の技術と溶接機材だけが18の区にある職場に分散された。
 職場や職種そのものが無くなるということは、現に働いている職員にとっては、長年従事してきた仕事が「必要なくなった」という宣告をされたことでもあり、やりきれない思いを抱いた。その思いをどのようにこれからの仕事や従事していた職員のこれからの職業人生に生かしてもらえるのか、労働組合としてとても真剣に悩んだものである。まだ40歳前であった私にはなかなか解けない課題でもあり、当該の仲間と随分と悩んだ。
 その時一緒に悩んだ仲間は、2年後の労働組合の分裂・再建のときにずいぶんと力となってくれたことはいまでも忘れられない思い出である。
 確かに鍛冶屋さんは世界中で、時代とともに忘れ去られようとしている。しかし農具など、今でも道具を使うひとりひとりの癖に合わせて作ることのできる技は貴重である。ときどき鍛冶屋さんについて報道されることもあるが、どこでも後継者難である。

★家業われに絶ゆる鞴(ふいご)を祭りけり     宮下翠舟

 鍛冶工にかぎらず職人芸はどんどん廃れていく。現在の職人芸もまた時代とともにどんどん変貌を強いられ、時代とともに消されていく。
 鞴祭りは旧暦11月8日。新暦では今年は12月25日。しかし私はこの時期になるとなぜか思い出す。

穏やかな夕刻、ようやく一息

2017年11月29日 16時56分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から南区と金沢区の職場をまわり、夕方から所用があるので急いで帰宅。あと二つの区の職場をまわることになっている。明日午後に天気が良ければまわってしまいたいが、果たしてどうだろうか。
 本日は日が当たり暖かかった。長袖のポロシャツの上には木綿地のベスト、そして朝の内はごく薄いウィンドブレーカーを着て出たものの、そのウィンドブレーカーは早い段階でリュックの中にしまい込んでしまった。駅から職場まで10分ほど歩いているうちにベスト1枚でも汗ばんできた。
 久しぶりに京急の金沢文庫駅に降り立ち、駅に並行している商店街を歩いた。以前歩いてからもう7~8年位は経った締まったと思う。しかし古い商店街、ほとんど変わっていなかった。帰り際、遅い昼食にと思い、以前2~3回ほど入った蕎麦店に入ろうとしたが、満席だった。やむなく駅構内のパン店で昼食。
 電車の中では「怖い絵-死と乙女篇」(中野京子、角川文庫)を少々。残り僅か。
 ようやく自宅で所用が終わり、一息。