Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

カラオケを聞くこと

2017年11月25日 22時01分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日のブログの「葱と刃」に《ホロフェルネスの首を斬るユーディット》(1620年頃の作、アルテミジア・ジェンティレスキ、ウフィツィ美術館)を貼り付けてみた。俳句とは直接関係はない絵画だが、私の文章の下敷きなので敢えて加えた。
 さらに「葦原の山姥」様に指摘をいただいた「寝首を描く」2か所を「寝首を掻く」にあらためた。いつものように変換ミス、情けないものがある。

 人前でとても歌えないし、カラオケという場面には近寄らないことにしている。やむなく取材に行くときは、「あくまでも写真を撮るだけ」強く断って、マイクがまわってくることの内容にしている。
 しかし本当は人の唄っているのを聞くのは嫌いではない。ひょっとしたら好きなほうかもしれない。親しくしている友人が選曲する曲を見ると、その友人の経てきた人生が垣間見えるときがある。そんなときはじっと聴いている。囃し立てることはしないが、拍手もおおいにする。
 逆にしっとりとした曲を選んで歌っている人の歌を聞くと、その人の人生をいろいろ想像したくなる。退職者会のカラオケだから、あまり新しい歌はかからない。忘れていたような曲がかかるととても懐かしくなることもある。
 カラオケでは、というよりもどんな場面でも、ひたすらはしゃぐ人とはあまりお近づきにはならないようにしている。
 人はカラオケに行って、親しくなる、というが、私はごくごく親しい人の誘いで、かつ私に歌うことを強要しないと確信できる敵以外、カラオケに行くことはない。


本日もおおいなる疲労感

2017年11月25日 20時01分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 カラオケ会場を早めにお暇しようとして、引き留められるまま、いつの間にか最後までお付き合いをしてしまった。
 19時近くになってようやく帰宅。軽く夕食を食べて、本日はそろそろ就寝したいきぶんである。歩いて還ってきたので、酔いはそれほどではないが、やはり疲れた。
 結局本日も読書などはまったくできず、少々イライラが

みかん狩りとカラオケ

2017年11月25日 15時54分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
午前中は横浜市内の観光農園でみかん狩りのイベントホール、午後からは組合の会館でカラオケの交流会。
私はカラオケなど歌謡はお断りしているので、あくまでも取材のみ。
これより帰宅準備。