Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高木純君を偲ぶ

2017年11月12日 23時28分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 高木純(あつし)さんの告別式までに仲間の思い出を集めてまとめ、急遽弔辞をしたためた。以下、高木純さんの記念にここに取り上げることにした。

弔辞 -1972年春、高木純さんの思い出-

高木純さん、あなたの早すぎる死を耳にした時、ほとんど言葉を失いました。
私たちは1970(昭和四五)年4月、東北大学理学部の学生として仙台市の川内キャンパスで出会いました。
1970年、当時の東北大学は入学式すら行われず、理学部300名の交流は学生が自主的に始めました。理学部の学生はいつの間にか、食堂の入口近くの一角を溜まり場としましたが、高木さんも必ず毎日顔を出す常連でした。クラス討論や学生大会が頻繁に行われる中で、下宿先やアパートで幾度も徹夜で、生き方や社会との向き合い方などを熱く語り合ったことを覚えています。
当時の東北大学の学生から見ると東京出身であか抜けて、好奇心旺盛な高木さんの周りには友人がたくさん集まりました。高木さんは常に笑顔を絶やさず、そして一番の常識家でもありました。議論が昂じてくるとちょっと伏し目勝ちに、恥ずかしそうな仕草で、「まあまあ」とにこやかに私たちの肩をたたきながら、穏やかに話をまとめてしまう特技もありました。また人を裏切ることなど考えられない温厚篤実な方でした。
高木君を語るときに忘れられないのは、サイモン&ガーファンクルの大のファンであったこと、そしてアシモフの「銀河帝国の興亡」というSFをこよなく愛し、活動実態はなかったものの「漫画研究会」を創設するなど、仲間内で思い出として語られています。仲間で企画した芋煮会・ハイキングなどではいつもその中心にいました。
学費闘争がこじれ、力づくで後期試験が強行され、仲間が試験をボイコットして7割の学生が留年するという事態が起きた時も、隊列の中でスクラムを共に組みました。その時に見聞きした多くのことを語り部のように語り継いでいた姿も忘れられません。一方で大学院の試験を一回でクリアするなどの努力家でもありました。
2013年8月末に、当時の学費闘争で留年した理学部の仲間が集まり、仙台で「72年春・川内を語る東北大45Sの会」を開いた時、体調はあまりよくないようでしたが、事前の準備段階から率先して参加してくださいました。
「会」の感想では「皆様の話し方や雰囲気が少しも変わっていないのに驚かされました。四〇年のギャップは大きいと思いますが、もともと世界観や政治観は一人一人異なっていたような気がします。それでは何が一緒だったのか、社会や人生に対する向き合い方、社会に対する個人の関わり方が似ていたのではないでしょうか。そこは今も大事にしています」と書いてくれました。
出会ってから47年、仙台で皆が再会してから4年、ほとんどの仲間が現役を退いたのを機に、「近いうちにまた仙台で会いたい」という声を寄せてくれました。高木さんの存命中にその約束が果たせなかったのが、残念でなりません。高木さんと一緒に悩んだ5年という歳月は短いとはいえ、人生の大切な時間でした。高木さんの思い出はいつまでも胸に大切にしまっておきます。

高木純さん! あのすばらしい5年間を本当にありがとう。

最後にご遺族の皆さまのご健勝を心から願いながら、お別れのことばといたします。

2017年10月                 友人の一人として Fs



明日の予定を確かめながら‥

2017年11月12日 23時15分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の予定の業務は終了。明日早めに郵便局に20余通を持ち込めば一段落。明日は午後から近くの市立図書館に出向いて、水曜に見学する「無言館」の資料を数冊借りて、リーフレットを作成すれ予定。必要個所を抜き書きして旅行参加者分だけコピーすれば出来上がるはずである。A4裏表に納められるように若干資料は読み込まなければいけない。
 この合間に団地の管理組合の若干の用務をこなし、明後日からのバス旅行の荷造りをすれば、終了である。

友人の葬儀の報告書作成

2017年11月12日 15時56分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先日亡くなった友人の葬儀の模様と盛花の会計報告を友人たち約20名余に送る作業を朝から行っている。
 ようやくほぼ出来上がった。
 本日中に封入れを終えて、明日郵便局に持ち込めそうである。

 そして亡くなった友人の名前を、年賀状の住所録から削除するということがしんどい。いつも削除するのを躊躇しているうちに数年たってしまう。それから削ることをしてきた。パソコンなので、以前の住所録と削除した新しい住所録を別々にファイル名を変えて保存しておけば、問題はないのだが、削除するという行為自体に躊躇してしまうのだ。心の片隅に、削除すると思い出までもが消えてなくなりそうな気がしている。