Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

会議は無事終了

2017年11月18日 23時26分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の会議は21時ちょっと過ぎに終了。いつもよりは少しだけ時間かかかったが、それ以外はスムーズに議事が反映されていたと思う。肩の荷が下りたような気分である。
 本日はぐっすり眠れそうである。

冬浅し

2017年11月18日 23時02分42秒 | 読書
 本日は団地の中のプラタナスの剪定を行ってもらった。不思議なもので、葉が一挙になくなり、明るく見えるようになると、途端に冬の様相に思えてくる。枯れた葉でも陽射しは遮ってくれている。その葉が剪定で亡くなり、枝も切り詰められると明るくなる。すると冬のいつもの情景が蘇ってくるのである。冬ざれ、という言葉が似つかわしくなる。ふゆ
 樹木が四季折々に付近に住む人の生活に実に大きな影響を与えているのか、如実に示してくれる。

★蛍光灯唄ふごと点き冬浅し     藤田湘子
★冬ざるるものの一つに道祖神    岩淵信義


 第1句、蛍光灯が点くときにちらちらとすることがある。それを唄ふ、と表現するはいけいには、身内の方の死が反映していないか。
 第2句、道祖神を忘れてはいけない。寒い中を寒さに耐えて立っている。そんな愛情を感じる一句だと思った。

これから会議

2017年11月18日 18時06分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 二週間ごとの資料づくり、終わるとホッとする。懐疑に出て議論するエネルギーの優に10倍のエネルギーが必要である。現役のときは毎週レジュメづくりをしていたのだから、それに比べると楽ではある。諮問会議と理事会とが交互なので、一部重なる。しかし一番の問題は議事録の起こし。これに費やされるエネルギーの比率が高い。
 もうひとつこなすエネルギーが湧いてこない理由は、自分が進んで作った場ではないこと。これが決定的に違う。いつも覚めている自分がいる。仕事でもない。
 やむを得ないものであるが、気持ちを奮い立たせることは難しい。
 19時からの会議にそなえて、出来上がった資料を人数分コピーして資料作りは終了。あとは会議で資料に基づいた提起をして、会議が終わるのを待つばかり。

 明日は、明後日の退職者会の会議に向けて、ブロックの会報をつくる仕事が残っている。


ようやく資料作り終りが見えた

2017年11月18日 12時01分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 11時半ころから急に風が強まってきた。風が唸り声をあげている。南西から北東に向けての風、それほど寒さは感じない。ケヤキとプラタナスの枯葉が一挙に散っている。壮観ではあるが、後処理のことを考えると憂鬱でもある。

 会議の資料作りもほぼ出来上がりつつある。14時までには仕上げて、レジュメと資料・別紙部分の原紙を打ち出したいもの。あとはウォーキングに出かけたいところだが、雨の区域がじわりじわりと南から北上してきている。

 パソコンに向かい続けて疲れたときは「怖い絵-死と乙女篇」(中野京子、角川文庫)に目をとおしている。一昨日から読んだのはカバネル「ヴィーナスの誕生」、ベラスケス「フェリペ・ブロスペロ王子」、ヨルダーンス「豆の王様」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」の4編。