忙しさにかまけてのびのびになっていたが、ようやく「近代日本一五〇年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆、岩波新書)を読み終えた。
とても示唆に富む書であり、そして戦前-戦後をすり抜けてきた日本の科学技術体系の問題点が、整理されている。あの1960年代末の東大闘争をはじめとする全共闘運動で問われたことが、再び50年を経て何事もなかったかのように過ぎ去ろうとすることに、大きな違和を感じている私などにも新鮮に映る。このこと自体が実に悲しい事でもある。
明治以降の科学と国家体制の問題がコンパクトに整理されている。この論は確かに科学技術史の一側面であるが、同時に明治維新以降の日本近代化への本質的な問いかけにもなっている。
付箋を貼った個所も多く、いろいろ引用したいところはたくさんあるが、第7章「原子力開発をめぐって」の「岸信介が唱えた、その気になればいつでも核武装できる状態に日本をしておくというこの『潜在的核武装』路線は『すべての産業能力は潜在的軍事力である』というかつての総力戦思想を踏襲したものであり、これこそが、技術的にもきわめて困難で超多額の経費を要する核燃料の再処理と増殖炉建設に日本が固執してきた裏の理由であり、政治の世界において原子力開発が推進されてきた背景である。」という記述を記しておこう。
最後の「おわりに」は次のように記している。
「日本は、そして先進国とされてきた国は、成長の経済から再分配の経済に向かうべき時代に到達したのだ。この二〇〇年間の科学技術の進歩と経済成長は強力な生産力を生み出したが、‥世界中の富をきわめて少数の人たちの手に集中させることになった。限りある資源とエネルギーを大切にして持続可能な社会を形成し、税制や社会保障制度を通して貧富の差をなくしていくことこそが、現在必要とされている。かつて東アジアの諸国を侵略し、二度の原爆被害を受け、そして福島の事故を起こした国の責任として、軍需産業からの撤退と原子力使用からの脱却を宣言し、将来的な核武装の可能性をはっきりと否定し、‥低成長下での民衆の国際連帯を追求し、そのことで世界に貢献する道を選ぶべきなのである。」
50年を経てもなお、こだわり続ける作者に共感するところも多い。