Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「熊谷守一展」 感想その2

2018年05月17日 22時01分49秒 | 読書


 2月15日に熊谷守一展の感想を記載してから、その2をすっかり忘れてしまっていた。有名な「猫」(1965年、愛知県美術館蔵)の猫を見たときの感想である。
 実はこの猫、何となくふてぶてしい割に愛嬌もあり、私も含め好きな人は多い。しかし会場でこの作品を見て、私は何となく落ち着かなくなった。どうも座りが悪い、と感じた。文字通りの意味で座りが悪い。何が変なのか随分長い間見ていた。
 いくつか気がついたのだが、まず、この猫の載っているような「木の板」のような薄い茶色は何なのだろうか。私は木の厚みのある板だと考えた。しかし部屋の中にこんなものは置いてはいない。縁側の桟だろうか。すると奥は畳で、手前は板の縁側になるが、奥と手前で色が同じなのでちがうようだ。舞台装置がどうもよくわからない。
 次に、この猫はどの平面にいるのか、ということがわからなくなった。よく見ると尻尾は垂れ下がっている。すると猫の右側は宙に浮いていることになる。そのわりに右の前脚の肘はちゃんと体を支えている。もしもこの右側が廊下などのちゃんとした平面であるならば、尻尾は垂れ下がるのではなく、手前に折れ曲がらなくてはならない。この尻尾がどうしても腑に落ちなくなった。
 そしてみっつめに右の前脚が宙に浮いているように見えることにも気がついた。
 最期の四つ目として、猫にヒゲがない。この髭が無いのは何となく「愛嬌」で済ませられそうだが、最初の三つの疑問は最後まで氷解しない。
 以上の点が気になって仕方がない。ここに描かれた空間はどこにでもありそうで、実は3次元空間としてはあり得ない空間構成であることに気がついた。
 しかしそれにもかかわらず、猫の立体的な存在感がキッチリと決まっている。何とも不思議な空間を熊谷守一という画家が作り上げたものだ、と思う。

オクラの胡麻和え

2018年05月17日 20時02分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日付を間違えていた。本日は17日(木)なのだが、どういうわけか私の頭の中は16日(水)というふうになっていた。午前中に団地のことで打合せの約束があったのだが、すっかり油断をしていた。夕方になって夕刊をみたら「17日(木)」と記載があり、慌てた。
 ところが打合せの開いた方も行き違いがあり、結局明日に打合せは延期となった。ホッとするやら、情けないやら、複雑な思いが夕方以降頭の中で渦巻いた。

 さて本日の夕食に、今年初めてオクラが食卓に上った。いよいよ夏野菜の出番である。オクラのゴマ和えをとても美味しくいただいた。

 明日はこの打合せの後、眼科に行って緑内障の薬を処方してもらわないと点眼薬が無くなりかけている。

横浜市北部は震度2

2018年05月17日 13時24分48秒 | 天気と自然災害
 先ほど12時過ぎの地震について気象庁の発表をまとめると、次のようになる。

・発生は17日12時12分ころ、震源地は、千葉県東方沖(北緯35.7度、東経140.8度)、震源の深さは約50km、マグニチュードは5.3と推定。この地震による津波の心配はない。最大震度4の地域は、旭市南堀之内、多古町多古、横芝光町宮川、横芝光町栗山。

 私の住むところを含む横浜市域の北部では震度2であった。始め縦揺れが数秒ののち、いったん鎮まったかに見えたのち、再び揺れ始めて5~6秒ほど続いた。
 近くの地震のように感じたが果たして千葉県東部ということであった。座っていた私はすぐに気がついたのだが、台所で立ち仕事をしていた妻はわからなかったようだ。

 特段被害は無さそうである。

川瀬巴水「小樽の波止場」

2018年05月17日 11時35分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「小樽の波止場」(渡邊木版美術画廊蔵)は1932年のスケッチをもとに翌年制作された作品。
 「十月の声をきいた北海道‥‥旅人のむねに宿るものはただやるせない哀愁だ、小雨上がりの夕雲のただよふところ、淋しい船の灯が明滅している」と記されている、とのこと。
 哀愁ということばに集約してしまうのはもったいない気もするが、私はふたつの灯り、二人の人物、斜めに大きく張り出す桟橋と手摺り、波にただよう明かりの灯、遠くの大型船、構図的にも出来過ぎの感もないではない。同時に川瀬巴水のいつもの後ろ向きの人物で情緒を醸し出す。
 低い視点、船の明かりが海面に移る長い灯影、舞台も仕掛けも巴水ならではの世界が満喫できる。
 大胆に画面の上下に二分して、画面の4割に空を大きく描き込み、その空が単調になっていない。
 出来過ぎた仕掛けにもかかわらず、惹かれてしまうのは何か、といつも思う。とりあえず思いついたのが、二人の人物が、印半纏とオーバーコートと帽子という和洋の対比である。これが1932(S7)という時代を考えると胸騒ぎがするのだ。日本ファシズム連盟結成、上海事変、「満州国」建国宣言、五・一五事件、翌年早々には国際連盟脱退とあの時代の集大成がなされた時代である。登場する様相の人物は大陸への道を北海道に求めた人とすると、これは危険な秘密の匂いが漂ってくる。
 そんな思いすら投影してしまうのが、巴水の作品なのかもしれない。しかし巴水はかなり転換を図るべく苦闘していたらしい。