Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ルドン展の感想

2018年05月09日 22時19分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ルドンの作品を見ながらいくつか気がついた点があった。

 ひとつは、樹木それもおおきな老木ともいえるものの存在である。図録の解説では、ルドンはバルビゾンでコローに会い、「『不確かなものの傍には、確かなものを置いてごらん』とコローは私に言った。そして茂った木の葉が一枚ずつ刻み込まれたように描かれているデッサンを見せてくれた。『毎年同じ場所に行って、貴を描くといい』と彼は付け加えた」、さらに「老木が、静かに存在感をもって登場する。時に単独で、しばしば他の生命とともに画中を占め、また時には若木と組み合わせられて、画中に配されることもある」
 しかしルドンの描く木は葉や細かな枝よりも太くたくましく頼りがいのある幹が目立つように描かれているものが多い。木は太い人工の柱の場合もある。生命が寄りかかり、癒しを受け、そして再生を果たす媒介となるのが太い木の幹の暗喩のような気がする。

 ふたつめに気がついたのが、ルドン独特ともいえる空あるいは背景の青の鮮やかさ。この青の配置が作品全体を明るくし、そして引き締めている。

 三つめは、描かれている人物、中心的な主題となる人物よりもその人物画持っていたり、周囲にあるものが輝くように描かれている。そのことによって人物に光が当たり、人物が浮き上がって見えること。ここがとても印象に残った。

 四つめは、印象的な黒の作品に出てくる奇怪な人物の顔をした生命体は、この樹木の暗喩から少しずつ解けるのではないか、ということに気がついた。今回はこの四つ目の点はルドンの反が作品を鑑賞する手引きとして、記憶するにとどめておきたい。いづれまた記載してみたい。

 三点のことを考えるきっかけとなった作品を三つばかり記しておきたい。順に、「キャリバンの眠り」(Ⅰ895-1900、オルセー美術館)、「神秘的な対話」(1896、岐阜美術館)、「エジプトへの逃避」(年代不詳、オルセー美術館)である。

      

三菱一号館美術館でルドン展

2018年05月09日 18時00分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は11時半に日比谷公園に集合して集会後、衆・参議員面会所経由で永田町駅までのデモ。カジノ法案反対の集会とデモ。連合の退職者会の組織による取組み。全体で500名位であったろうか。寒くでしかも小雨も降っていた。さいわい強い雨ではなかったが、風が吹くと霞が関の官庁街の街路樹から大量の雨水が落ちてきて往生した。雨が上がっても傘が手離せなかった。

 銀座線で有楽町駅にもどり、新国際ビルの地下でダメもとのつもりで1000円以下のランチを探していたら750円のカレーを見つけて注文。とてもありがたかった。場所代が高いと思われる場所で、この値段はありがたかった。寒いので、コンビニの弁当を日比谷公園で食べることも出来ずにいたので、助かった。



 すぐ傍の三菱一号館美術館で「ルドン-秘密の花園」展を鑑賞。久しぶりの美術館で気分のいい1時間余りを過ごすことができた。チケットショップには寄らなかったので、定価の1700円は財布には厳しかった。しかし頭の休養と考えればイライラしなくても済む。
 行くときは東横線-日比谷線で日比谷駅までのコースを取ったが、東横線が40分近く遅れ、集合場所には10分ほど遅刻。帰りは通勤時間帯前だったのでJRで帰宅。

 ルドン展の感想は「仕事」の合間を縫って、できるだけ早めにアップする予定。

小雨の日比谷公園へ

2018年05月09日 09時32分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も雨模様。雨といっても小雨で予報では正午前にはあがる予報になっている。退職者会の参加要請で、昼前に日比谷公園まで出かけて、集会参加の予定。私一人の代表参加。14時までには終了するとのことである。

 その後どうするか、まだ考えていない。三菱一号館美術館のルドン、汐留ミュージアムのジョルジュ・ブラックの晩年の作品、国立西洋美術館のプラド美術館展、東京都美術館のプーシキン美術館展、東京国立博物館で伊東塾中の仙人掌群鶏図襖‥‥。時間的には1館のみである。 あるいはそのまま早めに帰宅して、「仕事」にいそしむか。

 三菱一号館美術館が一番近くていい。疲れた頭にもすんなりと入ってきそうな気がしている。