Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

似合わないと思いつつ自由が丘駅界隈

2018年05月05日 22時08分23秒 | 山行・旅行・散策
 本日は15時近くになってから、自由が丘駅界隈に行ってみようという提起に引きづられて、自由が丘に行ってみた。自由が丘駅という「あか抜けた」駅で下車するのは万年ぶりだろうか。
 以前東横線の改札をですすぐ左に連なる「自由が丘デパート」と「自由が丘ひかり街」という細長いビルを通り抜けたことが幾度かある。そこが懐かしいというので乗り気になった。
 改札を出るとものすごい人混みに圧倒されそうになった。若い人だけでなく、熟年の人もそれなりに歩いていた。駅前の広場ではテントが張られ、「自由が丘スゥィーツフェスタ」というイベントの最中であった。
 さっそく地図付きのスタンプラリーのチラシを貰い、そこに記載されていた喫茶店1件と柏餅の店1件、パン店1件をまわり、スタンプを押してもらった。最初の2店は「ひかり街」の中とその前にあり、もう1店は広場に面したパン屋ですぐにスタンプは揃った。ごく安い金額での買い物は妻の得意技。抽選で小さなお菓子などの詰め合わせを貰って妻はご満悦。
 しばらく人が溢れそうな自由が丘界隈の通りを散策してから、沖縄料理の店を見つけて、泡盛と沖縄料理をいただき帰宅。読書タイムは予定よりずっと少ない時間しか確保できなかったものの、久しぶりに自由が丘周辺を歩いてそれなりに満足した。

「図書5月号」から

2018年05月05日 21時01分26秒 | 読書
・時をかけるエーコ                      筒井康隆

・ある拓本をめぐる奇縁                    石川禎浩

・誰も見たことのない利行                   小林真結
「《白い背景の人物》は、分かりやすい物語の付いていない、生のままの作品である。‥まっすぐに引かれた線、下地にのめりこむ筆の痕跡、ただキャンパスと絵の具の集合体を見つめるしかない。長谷川利行がよく知っている人物たちの親密さ。それを目の前にした画家の目と手の動きを、ただそのままに受け取るしかない。この絵が見せてくれるのは、これまで誰も見たことの無かった、利行そのものである。

・霧の少年                          田中亜美
「「湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」は金子兜太その人の生涯を賭けた信条である反戦の俳句として広く知られている。(金子兜太氏は)「それは実に痛ましい、ケロイドを負った人たちなんだ。だけど、<やけど>という響きは、ヤワで生々しくて、それじゃ、この人たちに気の毒だろう。ここはどうしても<かしょう>と乾いた音にして、抽象化させた響きにしたかった。‥ところが、上の句のイメージがどあしても湧かなかったんだ。一カ月間、横に広辞苑をでんと置いて‥一頁ずつ見ていったんだ。その一番おしまいの<わん>まで来て<湾曲>のところで、これだぁと思って‥」。「彎」というくぐもった抑揚は、限界まで引き絞られた非業の死者たちの声にならない声、嗚咽と共鳴しているのではないかと思った。その人たちの影までもが見えてくる気がした。」

・三島・恩師・図書                      さだまさし

・未完のカーニバル-ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』  柳 広司
「カーニバルの参加者たる『カラマーゾフの兄弟』の登場人物たちは揃いも揃って途方もないエネルギーの持ち主だ。彼らは良く食べ良く飲み、良く喋る。喋って喋って喋りまくる。喋った挙句、自分の言葉に興奮してヒステリーを起こす。凄まじいエネルギーである。」

・大きな字で書くこと-中原中也(3)             加藤典洋

・はぐれサフラジェット                    プレディみかこ

・在と不在                          齋藤亜矢
「ふだん目が行くのは山の頂上付近のごつごつした形、いわばシンボル的な部分だ。そこが雲で隠されると、ふだん気づいていなかった裾野のなだらかな稜線美に気づくことができ。「不在」の美学をめざしてみよう。

・タフで陽気な人たちが、北の国からやって来た。        冨原眞弓

・石神の涙                          三浦佑之

怠けものの開き直り‥

2018年05月05日 11時08分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 爽やかということばがよく似合う立夏の日。昨日の休養日が空けて、未だボーっとしている。妻は網戸の清掃などの作業に精を出している。ボーっとしている私は申し訳ないとは思いつつ、ヘタに手伝うとそれこそ邪魔者扱いにされるので、それを口実におとなしくパソコンの前に陣取っている。怠けものの開き直りである。怠ける理由はいくらでもある。
 そっと昼食の用意でもしているのが、よさそうである。

 朝から一昨日の集会の写真の整理と参加者名簿の作成と、印刷会社へのメールなでの若干の作業をしながら、このブログを作っている。パソコンからは海外のラジオからクラシックの番組でバッハが流れている。どの作業がメインなのか自分でもわからなくなっている。


明日は立夏

2018年05月05日 01時22分53秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は数か月ぶりに休養日となった気分。何事もなさず、時間が過ぎるのに任せたような一日。コーヒータイムと買い物の付き合いと若干のウォーキング以外はボーっとしていた。「星ナビ6月号」の拾い読みも写真に見入っていただけのような気分。
 何もしないことが、何か損をしたような気分になっているということは、ちょっと危険な兆候でもある。何事もなさない日もまたごく普通にあってしかるべきなのだが、なかなかそのようにはいかずにいつの間にか自分で自分を煽り続けている自分の姿に気がつく。自分で気がつくうちはまだ救いようがある段階だと思う。自分で気がついて、そして自分で修正できるうちがいいのであろう。自分で気がつかなくなると、まずい。

★透明な沢の速さに夏来たる     藤森 順
★魚にやや塩をきかせし夏来る    道下則子
★窯出しの壺に立夏の火の匂ひ    板倉れいじ


 さて第1句、この季節の低山のハイキングは気分はすがすがしい。高い山では雪解けの水が沢に流れ込んでいる。その音が夏山のシーズンになると別の音になる。今の内の音は角が少し尖っている。夏山シーズンになるとさらに丸くなる。夏の太陽を受けると水の形態も変わるのだとむかし山二連れて行ってくれた先輩が教えてくれた。