Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

宮崎進「旅芸人の手帖」から(2)

2018年05月22日 22時08分04秒 | 読書
   「石狩」(1958年)

地表に降り注ぐ陽の光と風だけが通り過ぎて行く、
この果てにいったい何があるのだろうか。
なぜだかわからないが、私はただただ渺々として何ひとつない北国のこの風景が好きだ。
地の果てまで大地が拡がり、空がある。

肌を裂く吹雪の中を、
ある時は、寄る辺ない旅人のようにさまよい歩いた。
流氷の岸辺に、荒野にそよぐ草や木に、飛んでいく鳥にも、
在る物が宿す命の様は眼に焼き付いてイメージを駆り立てた。


宮崎進「旅芸人の手帖」から

2018年05月22日 20時27分04秒 | 読書


作品は「冬(凍る月)」(1965年)。

 「北国の鎮まる大地に
  何を見つめ、歩み続けるのか
  寄り添う芸人の影は
  ただ荒涼として侘しい」

 「(芸人の世界は)社会の吹き曝しに生きる丸ごとの人間の姿をそこに見るからである。」

 「過酷な現実を生きる人間の呻く声が、心を動かす。その断片を繋ぎ合わせ、辿ることで、人間について何かが見えてくるのではないだろうか。」

 「吹き渡る風の中を飄々として放浪する。そこには漂白する者の自由が溢れ、それ以外に生きる方法がなかった彼らは、物事に執着する空しさより生涯旅人である幸せを噛み締めたいという。」

 「三十歳にも手の届く年に引き揚げてきた私は、何もかも失って茫然として、家族を前にどうすればよいのか、考えあぐねていた。‥何かに憑かれるように冬の裏(ママ)日本、東北、北海道の各地を歩き回った。私が大道芸人やサーカスを描いたのは1960年代から70年代にかけてで、その度の出会いに始まる。‥近世の庶民文化の残影の一つとして独特な広がりをせせる強い土俗性に興味をそそられ、あの奇妙でドギツイ小屋の空間になぜか心を奪われ夢中になった。‥彼らの寄る辺ない生き様に、私は私の中の漂泊の思いを重ねようとしていた‥。」

 


本日もほぼ一日外出

2018年05月22日 09時14分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は画家・彫刻家という範疇に押し込めていいとは思えないが、宮崎進の訃報があり、衝撃を受けた。存命されていることは知ってはいたが、95歳という高齢でしかも病と闘いながら創作意欲を持続されていたということには驚きを禁じ得なかった。
 他のニュースにもインパクトのあるものがあり、大きな扱いとはならなかったが、あの作品群に接した方には大きなニュースだったと思われる。

 さて本日も爽やかな天気である。東京の気温予想は27℃と高いが、湿度は低く快適。横浜の予報は25℃と他の関東地方では低い方である。本日も一日出かける用事がある。とはいっても慌ただしいことではない。少しのんびりと過ごしたい。