Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

月を愛でるゆとりはまだ‥

2018年05月31日 23時54分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は一日中細かい雨が降ったり止んだり。梅雨時のように湿度が高かった。気温は肌寒く、長袖を来ていた。午後から買い物につき合わされた。そのため会議の資料作りの仕事は残念ながらほとんどはかどらなかった。

 先ほど20分ほどの軽いウォーキングに出た。月が雲の向こう側でぼんやりと見える程度。ときどき厚い雲に隠れてしまうこともある。時間や気持ちにおおいにゆとりがある時はその変化を楽しむこともできるかもしれないが、今はまだあまり気持ちの上でゆとりはない。

 明日は晴れて気温も上がるらしいが、会議の資料作りを真剣にしないといけない。日曜日の会議なのだが、土曜日が取材で出かける必要が生じた。


夏木立、海紅豆

2018年05月31日 22時22分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 梅雨入りは来週になるらしい。東京は来週の6日(水)、7日(木)が雨の予報となっている。ただし予報の確度はCランクと低い。

★ひろしまや樹齢等しく夏木立     川崎慶子
★蕾よりすでに火の性海紅豆      大岳水一路


 第1句、空襲で市街地の樹木が焼けてしまったのは広島だけでなく、東京を始め各都市同じような状況であったろう。だがしかし、広島・長崎は原爆という放射線により、しばらくは草木も生えないと言われながら、一斉に植生が回復してきた。この植生の回復を、しかも夏の旺盛な緑に、同じ樹齢の木を眺めることに感動がある。

 第2句、私の団地でも沖縄の県花である梯梧(デイゴ)が咲いた。もだ咲き始めだが、もう少しすると木全体が赤く見える。燃えているようにも見えるという。梯梧とも海紅豆(かいこうず)とも呼ばれる。私はどうもこの梯梧・海紅豆という派手な、そしてあまりにあでやかな赤のこの花は好きになれない。その誇らし気なアピールを敬遠してしまう。作者は、それがもうすでに蕾の頃からの性だと断定した。人の子も同じといわれるが、果たしてそのように一方的に断定していまうのは適切なのだろうか。人間にはクエッションマークはつくが、植物に関してはつい頷いてしまう。

石楠花(2)

2018年05月31日 20時23分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★石楠花や水櫛あてて髪しなふ    野澤節子

 私は水櫛なるものを知らなかった。調べてみると「水をつけて鬢(びん)をなで整えるための、歯のあらい櫛。黄楊つげなどで作った」(三省堂大辞林)という解説があった。
 石楠花は5月25日の記事にも書いたが、「水」とは切れない風情である。梅雨の始めに咲きはじめ朝露が似合う花である。そこに水櫛が生きてくるのであろう。そして豊かで黒い髪がみずみずしく配置されている。石楠花、水櫛、髪、いづれもみずみずしいイメージである。

「図書」6月号

2018年05月31日 11時41分13秒 | 読書


 昨日から本日にかけて読んだのは岩波書店の「図書」6月号。目をとおしたのは16編の内、12編。いつものとおり覚書として。

★ギュスターヴ・モロー美術館の亀      司  修
「(美術館の管理人から)ここの主が生きているときからいる亀だよといわれた思いを持ち、美術館を出ました。その晩、安ホテルの体が半分も沈んでしまうベッドで、私は亀の夢を見たのです。海底で長く生き続けた亀が陸に上がると、それまでの世界はすべて滅び、地上は生まれ変わろうとしていたのです。亀はキョトンとしていました」
 さてその生まれ変わろうとしていた世界は亀にとって好ましい世界に映ったのだろうか。亀にとってはどのような溜息か、驚愕か、失望か。あるいは亀はひたすら見ることに徹しているのだろうか。はたまた亀が生まれ変わっていたのか、地上は定常の変化をしていただけなのか、「邯鄲の夢」の世界かもしれない。

★雨     ドナルド・キーン
「年をとるにつれて雨を嫌うようになっていることも確かだが、それでも私は雨が好きだ」

★我が青春の文学    北方謙三
「私が売れないまま書き続けて十年近く経った頃、‥親父が「男は十年だからよ」と言ったんです。「十年同じところでじっと我慢したら、出るものが出るんだ」って。‥親父、あれは本当だったじゃないか。-そう言おうと思ったら、親はいない。父と子って、そういうものなんですね」
 私にはこのことばは実感できていない。ひょっとしたらいつかそういうのかもしれないが、多分北方謙三と父親と気持ちの上で、それは父親はすでに亡くなって一方的なのだろうが、和解をしている。どこかで折り合っている。それは羨ましくもある。しかし私は父の死後20数年経っているが、未だに和解はしていない。その目途もまったくない。あくまでも人生の、日常生活の反面教師のままである。

★ふたつの握手とカモメのため息    師岡カリーマ・エルサムニー

★第一回イランカラッテ音楽祭    新井 満
「北海道といえば、先住民族アイヌの台地でもある。‥“イランカラッテ”というアイヌ語をもっと広めたい。‥アイヌ人と和人のコラボレーション(合作)によって行われるのが自然であろう。両者に上下はなく、対等に行われなければならない。そらにその音楽祭は芸術のまつりであると同時に‥、『平和のまつりでもなければならない』」
「出逢いの言葉“イランカラッテ”。アイヌ語で“こんにちは、あなたの心にそっとふれてもいいですか”という意味です。人と人が出会い、夢と夢が出会い、東と西の文化が出逢う。‥『イランカラッテ~君に逢えてよかった~』をイメージソングとする音楽祭へ、ようこそ」


★ヨーロッパ・デモクラシー、危機をくぐりぬけて     宮島 喬
「(移民・難民問題)の解決は、EUと国際社会が取り組むべき戦争抑止外交、開発援助などにかかっているが、重要なことは、各社会で定住し社会の構成員となり、移民出自であれ、同じ住民、市民として生きている人々の共存、共生が拒まれないことである。多文化(多民族)共生、それはヨーロッパ・デモクラシーの欠かせぬ要素の一つだからである」

★恥じ入ること-大石誠之助の「名誉市民」をめぐって-   田中伸尚

★満・和昭・政美      さだまさし

★大きな字で書くこと    加藤典洋
「『人は自分の思いを手本の無い自分の言葉で話すしかない。ここは大学ですから、会話の授業はやりませんよ』。」
 フランス語の教師の言葉の引用。

★隷属なきロマンス     プレディみかこ

★超絶運転のボンネットバスで、チベットを行く    冨原眞弓

★石室に隠れる少年     三浦佑之
 オケ・ヲケ(顯宗、仁賢)の項について以下のように記してある。
「(日本書紀と播磨風土記)の記事が一方通行のかたちで存したわけではない。中央の伝承が痴呆に流れただけではないし、地方の伝承が拾い上げられたというだけでもないということである。それに対して古事記の場合は、その両者からは少し距離をとっているような印象を受ける。繋がりながら一定の距離を置いて離れたところを巡っているとでも云えそうな、微妙な距離感をもって伝えられている。それは、介在する伝承者の違いに起因するものだと思う」