Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「芸術新潮5月号」から(2)

2018年05月08日 21時18分53秒 | 読書
 とても寒いと感じた1日である。最高気温は15時前の14.2℃、弱いながら北の風が1日吹き、平年の3月下旬並みの気温であるとのこと。明日もほとんど変わらない気温の予報である。
 15時過ぎに横浜駅まで歩いて出かけたとき、長袖のポロシャツだけでは寒いので、ブレザーを来て出かけた。それでも少し寒く感じた。

《パリェーカスの少年》 

《道化エル・プリも》 

 本日は「芸術新潮5月号」の特集記事以外に目をとおした。「中野京子が読み解く『画家とモデル』(2)-ベラスケスと《パリェーカスの少年》」、ならびにその他の記事。

 この「芸術新潮」は通常は税込み17,79円なのだが、定期購読にすると年間17280円で1冊当たり税込み1,440円となり約12.6%引きである。神奈川大学の生協の10%引きより良い。しかも特別定価号も通常価格の扱いであるし、送料無料。
 問題はこれまでも年間12冊を購入したことがない。年間で1~2冊購入する程度であった。購入すれば読むこともあるのだから一概に年間2冊しか読まない、と結論付けはできない。購入しようとして金銭的に厳しい状況のために断念したことも多い。しかも年間17,180円もまとめて支払うことはとても高いハードルである。
 いつもこの雑誌を購入するたびにこの年間定期購読について悩んでいる。そしていつもそのままになってしまう。
 「科学雑誌ニュートン」も1年ほど定期購入した時期もあったが、読み切れずに1年で辞めた。「芸術新潮」は読んでも理解できない、ということはあまりないことは確かである。また悩んでいるうちにいつの間にか忘れてしまいそうである。


「荒れ野の40年」(ワイツゼッカー)

2018年05月08日 14時05分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 1985年5月8日、敗戦から40年を経て西ドイツの国会で行われ全世界で有名になった演説。先々月も引用したが、5月8日ということで、全文の紹介をしておきたい。全文は以下で読むことができる。
⇒【http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~bessho/Vorlesungen/Weizsaecker1985Rede.htm

 ここでは、次の2か所を引用しておきたい。

「今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してほいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」


「四〇年というのは常に大きな区切り目を意味しております。暗い時代が終り、新しく明るい未来への見通しが開けるのか、あるいは忘れることの危険、その結果に対する警告であるのかは別として、四〇年の歳月は人間の意識に重大な影響を及ぼしておるのであります。こうした両面について熟慮することは無意味なことではありません。
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は卒直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか-これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
道徳に究極の完成はありえません!いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人、これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう。今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しょうではありませんか。」

危なっかしい

2018年05月08日 11時14分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 現在は14℃くらいなのだろうか。寒く感じる。強風注意報も解除となり今はほとんど風はない。長袖のポロシャツの上にごく薄いサマーセーターを着ることにした。午後からは雨が降るとのこと。

 本日は団地の管理組合の仕事を少々した後は、寝室の模様替えの後処理のため電源コード等を購入するために午後は外出予定。

 疲れがたまっているためか、少々のことですぐに休養が取りたくなる。肉体的なことよりも心的な休養が欲しくなる。日程の間違った思い込みにも気がついた。危なっかしいところにきているのかもしれない、という思いがつきまとう。
 何とか5月いっぱいを乗り切りたい。