Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

長野県栄村で震度5強

2018年05月25日 23時32分03秒 | 読書
 23時15分の気象庁発表では、21時13分ころ発生。震源地は、長野県北部(北緯36.9度、東経138.6度)で、震源の深さは6キロ、マグニチュードは5.2。最大震度は5強で、長野県栄村北信。
 また、この地震による津波の心配はない、とのこと。

 深度5強はごく狭い範囲である。しかし5強では被害が出ている可能性は高い。家屋被害、崖崩れなどもあるかもしれない。夜でもあり、被害は明るくなるまで分かりにくい。またこれまでに余震は23時までに7回を数えている。
 気象庁発表の詳細は【http://www.jma.go.jp/jma/press/1805/25b/kaisetsu201805252315.pdf】。この発生場所は2011年の東日本大震災の地震の翌日にマグニチュード6.7の大きな地震が発生したところと重なる。当時この地震は、東日本大震災をひき起こした地震の「誘発地震」として注目を浴びた地震である。今回は元になった大きな地震はない。

横浜美術館で「ヌード展」

2018年05月25日 21時19分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の午後は思い切って横浜美術館で「ヌード展-英国テート・コレクションより」を見てきた。今年に入ってから忙しさに押しつぶされるようになっていて、清宮清文典、熊谷守一展、ルドン展以来の美術展である。もう少し頭が十何になってから行こうと思っていたが、会期があと一カ月となり、少し慌てた。
 展示構成は、
1.物語とヌード            2.親密な眼差し
3.モダン・ヌード           4.エロティック・ヌード
5.レアリスムとシュルレアリスム    6.肉体を捉える筆触
7.身体の政治性            8.儚き身体
という8部構成である。

 ホームページには次のような解説が記されている。

ヌード――人間にとって最も身近といえるこのテーマに、西洋の芸術家たちは絶えず向き合い、挑み続けてきました。美の象徴として、愛の表現として、また内面を映しだす表象として、ヌードはいつの時代においても永遠のテーマとしてあり続け、ときに批判や論争の対象にもなりました。
本展は、世界屈指の西洋近現代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。フレデリック・ロード・レイトンが神話を題材として描いた理想化された裸体から、ボナールらの室内の親密なヌード、男女の愛を永遠にとどめたロダンの大理石彫刻《接吻》[日本初公開]やシュルレアリスムの裸体表現、人間の真実に肉迫するフランシス・ベーコン、さらにはバークレー・L・ヘンドリックスやシンディ・シャーマンなど、現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、また芸術表現としてどのような意味をもちうるのか、絵画、彫刻、版画、写真など約130点でたどります。
2016年のオーストラリアを皮切りにニュージーランド、韓国へと国際巡回する本展。待望の日本上陸です。


 さらに見どころとして、
1. テーマは「ヌード」。西洋の芸術家たちの挑戦の軌跡を追う。
「ヌード」は西洋の芸術家たちが絶えず向き合ってきた永遠のテーマです。しかし、「ヌード」をテーマにした大規模な展覧会は前例が少なく、挑戦的な試みです。本展は、この難しいテーマに意欲的に取り組み、ヴィクトリア朝から現代までのヌードの歴史を辿ります。
2. 近現代美術の殿堂、英国テートからヌードの傑作が集結。
1897年の開館以来、世界屈指の近現代美術コレクションと先進的な活動で常に美術界をリードしてきたテート。その至高の作品群よりヌードを主題とした作品が集結します。ロダンの大理石彫刻《接吻》をはじめ、ターナーが描いた貴重なヌード作品や、マティス、ピカソ、ホックニーなど19 世紀後半から現代まで、それぞれの時代を代表する芸術家たちの作品が出品されます。
3. ロダンの大理石彫刻《接吻》が日本初公開!
ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」*、こう語るロダンにとって、愛することは生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開です。
*高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』より


と些細されている。

 本日はまずは展示全体を見ることに主眼を置いて回った。いくつか印象に残った作品を挙げると、
・フレデリック・レイトンの「プシュケの水浴」(1890)
・ハモ・ソーニクロフトの「テウクロス」(1881)
・グウェン・ジョンの「裸の少女」(1909-10)
・クリストファー・リチャード・ウィン・ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」
・ピエール・ボナールの「浴室」(1925)
・アンリ・マティスの「布をまとう裸婦」(1936)
・パブロ・ピカソの「エッチング 156シリーズ」(1971)
・フランシス・グリュベールの「ヨブ」(1944)
などなど。

 個別の感想は後日アップ予定。

   

夾竹桃はまだ咲いていないが‥

2018年05月25日 13時29分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は風が強い。次第に強くなってくる。10メートル近い風である。風向きは南風。
 午前中に石楠花の句を1句取り上げてみた。雨と陽射しを基準とした対照的な花は、私のイメージでは、石楠花と夾竹桃、紫陽花と百日紅である。
 石楠花は水分が多くしっとりとしている情景が似つかわしい。対照的なものが、夾竹桃である。梅雨が明けて陽射しが強くなると咲き始める。こちらには雨は似合わない。

★夾竹桃身の裡の鬼なにで消す     錦織光江

 夾竹桃のすべての部分には毒が含まれる。燃やした時の煙や周囲の土にも含まれるという。枝がまっすぐなのでキャンプなどの時に箸などの代わりに利用しようとする。危険である。この句の鬼はこの毒からの連想。消す、は毒消しからの連想でもある。
 強い陽射しを受けて燃え上がるような夾竹桃の花は身の裡の燃え上がる情念、執念のようなものである。抑え込むことの難しい情念が、怨念とならないよう気をつけたいものである。

石楠花

2018年05月25日 10時42分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★石楠花に手を触れしめず霧通ふ    臼田亜浪

 この句、登山経験のあるかたならば実感できる。石楠花の咲くころは梅雨直前。ガスが立ち込めるなか咲いている石楠花の薄い花弁は朝の露が表から裏に、裏から表に通り抜けていくように透けて見える。そんな花に手を伸ばしてみようとしてもガスがかかってきてさっと花を隠してしまう。湿度100%の空気、とはいえ決して不快ではない。
 関東近辺では奥秩父の山々の石楠花が私には印象的であった。登山に行くと石楠花が山の奥深さを実感させてくれる。霧の中をひたすら歩くことで、人は回生する。石楠花に異性や友人や、夢や理想をダブらせるのは受け手の勝手である。
 なお、「石楠」は臼田亜浪の創刊した俳句誌。