Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

季節は悲しみととも‥

2019年08月17日 22時27分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の横浜の最高気温は予報よりは低く、13時30分頃に記録した341℃であったようだ。予報が外れることは芳しくはないが、こういう外れ方は悪くはない。「これでいいのだ」といいたくなる。今後はハズレないようにいろいろと検討はされるのだろうが‥。

 満月は一昨日。昨晩の月は十六夜の月であったがほんの数秒しか見ることはできなかった。
 本日は満月から二日目の月、立待月といわれる。満月が日の入りと相前後して上るのだが、立待月はそれよりも約70分ほど遅れて月の出となる。立って待つ月という意味であると教わった。
 そしてなんと寝待月もある。満月の三日後の月が居待月として座して待つ意味、四日目が寝待月といい、根ながら月の出を待つ意味らしい。秋の名月の後だけの名称ではなく、常にこの名称が使われるとのことである。寝待月の月の出はだいたい20時半ころ。
 寝待月の翌日は更待月。それ以降は宵月と呼び、月が出るまでの闇夜を宵闇という。宵月は二日続き、この頃には月も半月近くとなる。そして半月=下弦の月=弓張月となる。この頃の月の出は22時40分頃となる。

 本日の昼間取り上げた俳句に似た俳句が見つかったが、私としてはこの句がなかなか気に入った。

★一人欠け盆の月また少し欠け     菅原 涼

 私も68歳になった。友人の訃報に接する機会も多くなった。訃報に接するときというのは、時と場所を選ばない。それぞれの季節のある時に結びつけて近しかった先輩や友人の亡くなったころを思い出す。何年前という認識よりも「こんな季節だった」という思い出の方が印象に残っている。

 季節感というのは悲しみとともに移り変わっていくものである。人の死と季節感は切り離せない。ようやくに理解するようになった。


盆の月

2019年08月17日 15時53分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 横浜も最高気温は36℃になるとの予報であったが、今のところ13時半過ぎの34.1℃の表示となったままである。それでも34℃を超えている。
 家のベッドに寝転がりながら「ゴヤⅡ」を読んでいたが、少し外を歩いてみたくなってきた。この強い陽射しとセミしぐれのなか、何を好んでわざわざ外に出なくても、という妻の批判は当たっている。
 それでも家にじっとしていることがやはりどうしても苦痛である。

 台風一過、本日の月はどのように見えるであろうか。

★盆の月兄弟淡くなりにけり       岡澤康司
★盆の月ひかりを雲にわかちけり     久保田万太郎
★思い出はつらきばかりに盆の月     庄司たけし
★集ふものまた一人欠け盆の月      木原月吼


熱中症

2019年08月17日 13時46分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は日本の広い範囲で猛暑日らしい。気象庁も「命の危険も高まるので水分や塩分の補給をこまめにし、外出時はもちろん室内でも十分注意してほしい」と呼びかけているとのこと。
  日射病という言葉はすっかり死語になった感がある。今ではすっかり熱中症という言葉が定着している。

★瓦葺く熱中症の身の重き        三宮芳明
★霍乱の一とき雲を負ふ目あり      和田暖泡

 熱中症は危険、危ないと思ったらすぐに日陰に避難して休まなければならないが、それを許さない職場やスポーツの世界がまだまだ蔓延している。このような句を見るたびに、職人仕事の厳しさへの敬意も持つものの、日本の社会の怖さを実感する。

 「霍乱」は漢方の用語で、日射病のことを指したようだ。今では日射病とは言わず、熱中症という。熱中症では眩暈が症状の一つとしてある。私も水分を取り損ねながら炎天下を30分以上歩いて、急に冷房の強く効いたスーパーに入った途端に眩暈が起きて、商品の収めてある棚にしがみついたことがある。30秒ほども続いた眩暈には生きた心地もしなかった。棚が頑丈で助かった。商品にしがみついたり、棚が倒れていたらおおごとであった。
 あの時の目を他人が見たらきっと両目が左右に動いているのに気がついたと思う。外ならばそこに青空に浮かんだ白い雲が映っていたかもしれない。
 実際に映っていなくとも、そのうつろな目は空を見上げていたはずである。その目は、何かを追う目だったのだろう。突然にすべての目的や楽しみが遮断され、意識を失いかける。しかし目は、まだ遮断される前の意識の延長を願っている。そんな情景だと思う。