本日の横浜の最高気温は予報よりは低く、13時30分頃に記録した341℃であったようだ。予報が外れることは芳しくはないが、こういう外れ方は悪くはない。「これでいいのだ」といいたくなる。今後はハズレないようにいろいろと検討はされるのだろうが‥。
満月は一昨日。昨晩の月は十六夜の月であったがほんの数秒しか見ることはできなかった。
本日は満月から二日目の月、立待月といわれる。満月が日の入りと相前後して上るのだが、立待月はそれよりも約70分ほど遅れて月の出となる。立って待つ月という意味であると教わった。
そしてなんと寝待月もある。満月の三日後の月が居待月として座して待つ意味、四日目が寝待月といい、根ながら月の出を待つ意味らしい。秋の名月の後だけの名称ではなく、常にこの名称が使われるとのことである。寝待月の月の出はだいたい20時半ころ。
寝待月の翌日は更待月。それ以降は宵月と呼び、月が出るまでの闇夜を宵闇という。宵月は二日続き、この頃には月も半月近くとなる。そして半月=下弦の月=弓張月となる。この頃の月の出は22時40分頃となる。
本日の昼間取り上げた俳句に似た俳句が見つかったが、私としてはこの句がなかなか気に入った。
★一人欠け盆の月また少し欠け 菅原 涼
私も68歳になった。友人の訃報に接する機会も多くなった。訃報に接するときというのは、時と場所を選ばない。それぞれの季節のある時に結びつけて近しかった先輩や友人の亡くなったころを思い出す。何年前という認識よりも「こんな季節だった」という思い出の方が印象に残っている。
季節感というのは悲しみとともに移り変わっていくものである。人の死と季節感は切り離せない。ようやくに理解するようになった。