Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

友人を偲ぶ会

2019年08月24日 19時12分51秒 | 思いつき・エッセイ・・・

友人の偲ぶ会にはだいぶ人が集まった。いつもの居酒屋を貸し切って、それぞれが思い出を語った。ワイワイと賑やか。このように偲ばれるのは嬉しい。わたしのときはこのようにたくさんは集まらないと思うが、それぞれに楽しい時間を過ごしてもらえるならば、ありがたいと思う。


「没後50年 坂本繁二郎展」

2019年08月24日 15時12分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

  練馬区立美術館で「没後50年 坂本繁二郎展」を見てきた。練馬区立美術館は初めて訪れる。美術館自体の収蔵品も充実しているようである。今回の展覧会の概要は次のとおり。

「没後50年 坂本繁二郎展」
会 期  2019年7月14日(日)~9月16日(月・祝)
     会期中展示替えあり。約20点の作品が入れ替え
     後期 8月20日(火)~9月16日(月・祝)
休館日  月曜日(9月16日(月・祝)は開館)
開館時間 午前10時~午後6時 *入館は午後5時30分まで
観覧料  一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円
主 催  練馬区立美術館(公益財団法人 練馬区文化振興協会)、毎日新聞社
特別助成 公益財団法人石橋財団

 ホームページには解説として以下の文章が掲載されている。

 坂本繁二郎(1882-1969) は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882-1911) がおり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20 歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主宰する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39 歳の時に渡仏し3 年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が“発見” されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74 歳の時に文化勲章を受章するにいたります。 坂本は、ヨーロッパ留学までは牛を、帰国後は馬を、戦後は身の回りの静物、最晩年は月を主なテーマとして取り上げます。限られたテーマを描き続けた坂本の作品は、同じモティーフを取り上げながらも一つ所に留まることはなく、主題は平凡でありながら、精魂を傾け仕上げられた画面は厳かな静謐さを秘めています。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という言葉は、奇をてらうことのなく、自然と向き合い対象を凝視する彼の作画態度を表した言葉といえましょう。
 本展は、坂本の最初期作から晩年まで、彼の絵画が成熟していく過程を人生の歩みとともに明らかにしていくものです。約140 点の油彩、水彩、水墨画等に加えて、互いに磨きあい、支えあった盟友、青木繁の作品も合わせて展示します。

 図録も購入した。感想を是非とも記載したい。懐かしい作品、はじめて見た作品、どれも私にとっては心落ち着く作品ばかりである。鑑賞タイムは100分越え。これより休憩のコーヒータイム。足が棒のようになっている。だが至福の時間。






本日の予定

2019年08月24日 09時19分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の最高気温は横浜で30℃。ずいぶん低く感じた。本日は昨日とは違い33℃位まであがるらしい。

 昨晩、窓の外ではときどき蝉の短く鋭い大きな声が聞こえ、同時に秋の虫が、リン・リン、リリリリと、か細いが息の長い声が続いた。蝉の声は蝉の最期の断末魔のようにも聞こえた。音の世界の移行期であることを実感した。
 蝉も秋の虫も呼吸に関連する声ではないのだが、鳴き声、息の長い等々という表現である。これがしっくりとするのが不思議である。

 さて本日は、昼までに所用をすませ、練馬区立美術館に向かう。昼食時間がとれるといいのだが・・・。

 そして多分雨の心配はないと思われるので、傘は家において出るつもり。本日行く予定の「坂本繁二郎展」の図録などが濡れてしまうと困るので、持参したかったものの、重くなる。図録はしっかりとビニールの袋に入れてリュックにしまう予定。
 いつもの15リットルのリュックではなく、20リットルのリュックに変えてみた。

 東横線、副都心線、西武池袋線と乗っている時間が長そうである。読書タイムが取れるとありがたい。
 夕方17時には新宿についていなくてはいけないが、遅れる可能性もある。