本日は早めに帰宅。17時からの団地での飲み会、19時半過ぎから参加した新宿での飲み会、二つ連続はきびしいものがあるが、亡くなった友人の葬儀等のことについてどうしても情報が知りたかったので、新宿まで出かけた。
21時過ぎには飲み会も早めに終了したので、寄り道せずに帰宅。
本日からはウォーキングを軽くするつもりであったが、飲み会のハシゴということもあり、先月の平均近く歩いてしまった。明日は少し自重。
★炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子
★炎天の梯子昏きにかつぎ入る 橋本多佳子
第1句、有名な句で句の調べ、リズムがいい。だがわからないところがある。「わがこころの帆」というのはどういう意味なのだろうか。
幼いころから帆船に乗り慣れていた、という意味なのか。この帆船とは和船なのか、レジャーボートといわれるものなのか、川船だろうか、帆を張る海の漁船なのだろうか。あるいは海洋船や練習船なのか。作者の経歴からは海の経歴はうかがうことはできない。
蜃気楼によってもやもやとしてはっきりとした像を結ばない遠い帆、どこかで見た風景というよりも、心象風景に思え。どこか現実感が希薄な気がする。
モンタージュ風にイメージを重ね合わせる手法を追求したというが、この場合、モンタージュとはいえない。帆船しかイメージがないからである。言葉の喚起力で「炎天」「遠き帆」をつないでみた、それも「こころ」というあいまいな言葉によって。
代表作のひとつにあげられるそうだが、果たしていかに。ただし、私の好みの句である。
第2句、これは不思議な句である。炎天下にさらされた梯子を納屋や物置小屋にしまう時の情景だと思う。しかし梯子以外のものが何かあるか、と問われると答えに窮する。梯子以外の物が思い浮かばない。
日にさらされたものが日のあたらない暗い入口の納屋に納めるものは、ハシゴの外にもいろいろあるはずだ。しかし長い白いハシゴがおさまらない限り、炎天下の作業は終わらない。作者の眼も他へ転ずることがない。「凝視する力の大きさ」という言葉が思い浮かんだ。このハシゴは作者の心の闇に降りて行く道なのだろうか。そんな飛躍をしたくなる。