Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜市に大雨警報

2019年08月19日 22時52分33秒 | 天気と自然災害

 横浜市瀬谷区と大和市の境を流れる境川にかかる境橋付近で氾濫注意水位を超えたという情報が着信した。かなりの雨量の雨が降ったようだ。
 雨の区域はかなりこの区域に停滞している。少しずつ北上はしているが、すぐに抜けて行く状況でもなさそう。また雨の区域が離れても、すぐに安全になるわけではない。逆にいったん病んだ後は、少しの雨でも土砂崩れ等は起きやすい。

 横浜市域には「大雨(浸水害)警報、洪水・雷注意報」が出ている。私の住んでいるところではさいわいにも雨は降っていない。瀬谷区を中心に緑区・青葉区あたりは要注意ということであろう。


32℃が過ごしやすく感じた

2019年08月19日 21時19分44秒 | 天気と自然災害

 本日の最高気温は32.5℃、昨日の34.8℃から2.3℃低いだけだが、それがとても過ごしやすい気温に感じた。そして予報では午後にでも一雨来そうであったが、結局雨は降らなかった。降れば土砂降りだった可能性もある。
 現在、神奈川県の県央部から東京都の町田、八王子にかけては猛烈な雨が降っているようだ。レインアイよこはまの画面では時間雨量80ミリを示す赤い表示が広い範囲で表示されている。雨の区域は北上しており、埼玉県に向っている。

 今晩の降水確率は50%となっている。降るも降らないも50%、これから夜のウォーキングに出かけるための決断の材料としては難しい。

 学生時代の友人からメールが来た。先日病気となって入院した友人へのお見舞いのことも記載されていたので、印刷して友人に転送することにした。病気のことは皆それぞれにいろいろと経験をしている。経験談というのは有難いものである。同時に苦労を共にした古い友人の大切さをあらためて実感した。

 


夏休みの宿題 2

2019年08月19日 10時50分07秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨晩作り始めたパソコン画面の横に作ろうとした原稿台というか書見板は深夜の1時頃に出来上がった。出来栄え、使い心地は100%ではないが、取りあえずは満足ということにしておこう。

 夏休みというと大体憂鬱であった。まずは学校では「黒く日焼けして戻ってこい」という。そして膨大な宿題が出される。特に絵日記と工作と読書感想文が苦手であった。

 何しろ私は「黒く日焼けしない」のである。プールに行っても外で遊んでも赤くなるだけ。ひどく日焼けすると赤く腫れあがる。今では「黒く」なる人とそうではない人がいることは周知されているらしいが、当時は赤くなるのは「日焼けが足りない」のだという俗説に教師も染まっていた。その上私は泳ぎは出来ないし、引っ込み思案である。人前で泳ぐ練習することが嫌であった。プールなどではしゃぐことがどうして楽しいのかわからなかった。プールの中で突っ立っているだけで帰ってきた。赤く腫れた日焼けは、始業式の頃には白く元にもどり、体育が専門の隣のクラス担任が「ひ弱な男」とわざわざ私を揶揄しに来たものである。

 「絵」を書くことが苦手にされた私は、日記に書くようなことをしてもどの場面をどのように描いていいのかさっぱりわからなかった。たぶん「描く」ということは何かを省略し、強調すべき何かだけを描く、ということなのだが、それが理解できなかった。例えば蚊に刺されたとすると、蚊と刺された腕を描けばいいのだろうが、背景の庭や家や物干し台まで自分の眼に入ったのだからそれを描かなければならないと思い込んでいた。小さな枠にその背景から描き始めると到底2時間や3時間では終わらない。しかも描く力量がまるでない。1日経っても1頁も思わらない。
 結局絵を描くのは3日ほど。他の日は文章をその枠にも記載して提出した。必ず「絵日記には毎日絵を描きましょう」と記されて戻された。

 工作も苦手。何をどう作っていいのか、わけが分からなかった。多くの子は竹トンボやロウソク立てやら、女の子は手編みのコースターなどを作っていた。何しろ何かを作ろうとすると頭ごなしに「あんたは不器用だから何ができるやら」と親から否定される。親自身も何をどう指導していいやらわからずにヒステリックに「不器用」「不器用」とできない私に怒鳴り散らす。私はひたすら委縮して、結局何も作れずに登校日を5年、6年の二学期を迎えた。

 読書感想文も苦手であった。読書は大好きであった。文章もそれなりに書くのは好きだった。しかし「感想」は苦手。読書して「面白かった」「また読みたくなった」しか思い浮かばなかった。「どうして」という疑問が浮かんでこないのだ。なんでも「なるほど」と感心しながら読んでいく。素直といえば素直である。読書とは「考える」より「吸収する」ばかりであった。しようがないので読書感想文はいつも「あらすじ」を書いて提出した。
 要は「自分で考える」「自分で工夫する」ということに欠けていたとおもう。そのように育てられてしまった、といった方が正しいかもしれない。

 ということで、自分の子どもには「どうしてそうなるの」「どうしたらいいと思う」「なぜだと思う」という問いかけをいつもするようにして接したつもりである。さらにできるだけ口は挟まずに見ているだけにした。聞かれときだけ考えるヒントを与えるようにした。それが良かったか、的確な助言であったかはわからないが。ただし読書だけはたくさんさせた。